朝日日本歴史人物事典 「中村篁渓」の解説
中村篁渓
生年:正保4(1647)
江戸前期の儒学者。水戸藩士。名は顧言,字は伯行,通称は新八また新八郎。初め春帆のち篁渓と号した。京都の人。17歳のとき江戸に来て林鵞峯の門に入る。寛文7(1667)年鵞峯の推薦を受けて彰考館に入り,『大日本史』編纂に従事し,主として藤原時代の本紀,列伝を担当した。貞享1(1684)年300石。元禄3(1690)年小納戸役に進み,翌年彰考館総裁となった。在館46年,総裁職に在ること21年,安積澹泊選の墓碑銘には「大いに史策に功有り」とみえる。温厚な人柄で詩文にすぐれ荻生徂徠らとも交流があった。<参考文献>吉田一徳『大日本史紀伝志表撰者考』,名越時正監修『水戸史学先賢伝』
(鈴木暎一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報