中村館跡(読み)なかむらやかたあと

日本歴史地名大系 「中村館跡」の解説

中村館跡
なかむらやかたあと

[現在地名]厳原町中村

中世、府中ふちゆうの中村に置かれた島主宗氏の館の跡。宗貞国が襲封した際、州府を移し、中村を府城にしたとされる(宗氏家譜)。これは応仁二年(一四六八)のことで、対馬中部の佐賀さか(現峰町)より国府中村に移って居館を営んだことをいう。宗氏にとって佐賀館の時代は朝鮮王朝との通交が重んじられたが、この移転は九州とのつながりを重要視したもので、文明元年(一四六九)三千の兵を率いて筑前に出陣した。貞国のあと材盛・義盛・盛長と四代続き、対馬の政治的中心となった。


中村館跡
なかむらやかたあと

[現在地名]梓川村大字梓 中

中村のほぼ中央段丘の縁辺、東に突き出した部分にあって降旗田圃ふるはたたんぼ、梓川の対岸現波田はた町方面を一望に収めることのできる位置にある。本郭は原形をとどめ得ないが、地字梅地うめち、東西三五間、南北二五間がこれに推定される。この本郭の前面の段丘斜面に副郭とおぼしき小平地がある。慶安四年検地帳に中村がいと・古屋敷ふるやしきの地字がみられる。

中村・田屋たや両集落の背後に田屋城(上野城)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報