日本歴史地名大系 「中村町」の解説
中村町
なかむらまち
- 高知県:中村市
- 中村町
〔一条氏時代〕
一条氏時代の景観が具体的に知られる資料はない。同時代を描いたものといわれる絵図の写が伝わるが、江戸時代製作の考証絵図と考えられており、信頼性に欠ける。しかし天正一七年(一五八九)の中村郷地検帳から当時の様相をある程度復元することが可能である。同地検帳によれば町形成の中核となった一条氏の土居(居館)は現在
立町は土居北方の南北の町筋で、その延長は約三二〇メートルほど、新町は立町の南部でこれに直交する町筋で、延長は約二八〇メートルほどと考えられる。立町は江戸時代の本町通の南半にあたり、東側が立町東町、西側が立町西町、新町の北側が新町北町、南側が新町南町であった。立町の北端から西へ向かって派出していたのが上町で、南北に分れていた。このほか通りの名として新町に「奥少路」「米津少路」がみえる。以上の土居北方が中村町の中心であるが、土居西南の「下町」「築地口」にも町家地があった。下町は現大橋通二丁目の北側辺りにあったとみられる南北の町筋だが、屋敷は通りの西側だけにある。四万十川の港津・渡船場に続くところなので、一条氏時代には相当賑ったと推測される。築地口は現大橋通一―二丁目・弥生町一帯をよんだとみられ、明治九年(一八七六)の中村測量図(中村市立図書館蔵)では、現大橋通一丁目にあたる地域に「築地」と記されている。
中村町
なかむらまち
中村町
なかむらまち
中村町
なかむらまち
中村町
なかむらちよう
中村町
なかむらちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報