中根新田(読み)なかねしんでん

日本歴史地名大系 「中根新田」の解説

中根新田
なかねしんでん

[現在地名]焼津市中根新田

中根村の南に位置し、村の中央部を木屋きや川が、南端栃山とちやま川が東流する。寛永一九年(一六四二)の田中領郷村高帳に中根新田とみえ、高八九石余、田中藩領。寛文四年(一六六四)の西尾忠成領知目録(寛文朱印留)では中根村之内とあるのが当村とみられ、幕末まで田中藩領。なお寛永一九年の前掲郷村高帳では益津ましづ郡所属とあるが、寛文四年の西尾忠成領知目録では志太しだ郡の所属となっており、以後同郡に属した。元禄郷帳では高一二一石余。旧高旧領取調帳では高四〇一石余。慶長九年(一六〇四)大井川の大洪水により地内に船の形をした大淵ができ、農業用水として利用されたという(石碑銘)

中根新田
なかねしんでん

[現在地名]野田市中根

宮崎みやざき新田村の南に位置し、日光東往還が通る。寛文期(一六六一―七三)に開発され、延宝元年(一六七三)に検地高入れされたという野田新田の一つで、それまでの野馬の放牧地(荘内牧)西方にある中野台なかのだい村が村請で開発したという。貞享五年(一六八八)の田畑石高帳(渡辺家文書)では新高五五八石余、反別は田四町一反余・畑屋敷一〇二町五反余。元禄六年(一六九三)の野田新田四村五人組改帳(同文書)にも中根新田とある。

中根新田
なかねしんでん

[現在地名]本埜村なか

行徳ぎようとく新田の南にある。笠神埜原かさがみやわら新田の一。笠神埜原の南端、中根村の村下に開発された村添新田。寛文一一年(一六七一)の国手形寺請状改書綴(吉植家文書)に村名がみえ、入植者は上野国館林領五人・武蔵国羽生領二人・同国騎西領一人・地元中根村五人。天保三年(一八三二)の埜原新田拾ヶ村請年貢割付状(荒井家文書)によると、九町四反余・高四七石余で畑とわずかな埜地からなり、取永一貫七二五文余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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