中沢岩太(読み)ナカザワ イワタ

20世紀日本人名事典 「中沢岩太」の解説

中沢 岩太
ナカザワ イワタ

明治・大正期の応用化学者 京都帝大名誉教授;京都高等工芸学校初代校長



生年
安政5年3月29日(1858年)

没年
昭和18(1943)年10月12日

出生地
越前国(福井県)

別名
幼名=東重郎

学歴〔年〕
東京帝大理学部化学科〔明治12年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治24年〕

経歴
明治12年東京帝大理学部化学科を卒業、13年東京化学会の会長を務める。16年ドイツに留学、20年帰国して帝大工科大学教授。30年京都帝大理工科大学が創設されると学長就任、京都市工業顧問、陶磁器試験顧問などを歴任して無機化学工業の分野で指導的役割を果たし、硫酸・ソーダ工業、窯業方面の改良発展尽力。また35年新設の京都高等工芸学校校長となり、陶磁器や漆器の研究団体である遊陶園、京漆園、道楽園、時習園の四園を設立したほか、洋画家の浅井忠を京都に招くなど、京都の工芸美術界でも指導的役割を果たした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中沢岩太」の解説

中沢岩太 なかざわ-いわた

1858-1943 明治-大正時代の応用化学者。
安政5年3月29日生まれ。中沢良夫の父。明治16年ドイツに留学。20年帝国大学教授,30年京都帝大理工科大学初代学長,35年京都高等工芸(現京都工芸繊維大)校長。窯業などの発展につくした。昭和18年10月12日死去。86歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android