中滝村(読み)なかだきむら

日本歴史地名大系 「中滝村」の解説

中滝村
なかだきむら

[現在地名]岬町東中滝ひがしなかだき押日おしび・中滝・嘉谷かや

長者ちようじや町の北西に位置し、夷隅川右岸にあたる。近世前期の村高帳や元禄郷帳などには中滝村・中滝郷(村)とみえるが、江戸中期頃から村(郷)内の福原ふくはら(大福原村)押日村部田へた村・嘉谷村が行政的に独立性を強めていき、天保郷帳では古くは中滝村のうちという注記つきで四村とも独自に高付されている。文禄三年(一五九四)上総国村高帳には中崎村とみえ、高一千九二〇石。慶長二年(一五九七)一〇月の中滝之郷検地帳(渡辺家文書)は全二六冊のうち八冊が残り、分付記載がみられる。同五年の大多喜藩領分高付帳(大木家文書)には中滝郷村とあり、高一千九二〇石余。


中滝村
なかだきむら

[現在地名]大山町中滝

東は上滝村、北は三室荒屋みむろあらや村に連なる。大川寺だいせんじ丘陵から落ちる滝のうちなかたに川がたきヶ沢に出るので地名としたという。元和元年(一六一五)上滝村付近八ヵ村の農民より寺地八町四方が大川寺に寄進された(酒井家文書)。その文書のなかに中滝村百姓六名の名が記されている。万治二年(一六五九)にも六戸と変わらない(同文書)正保郷帳の高二一八石余、田方一四町余・畑方五反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高二二四石、免四ツ四歩、小物成は山役五九匁・鮎川役七匁・鱒役一匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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