改訂新版 世界大百科事典 「東岩瀬」の意味・わかりやすい解説
東岩瀬 (ひがしいわせ)
越中国新川郡(現,富山市),神通川河口右岸の地名。古代からの交通の要所で,《延喜式》に磐瀬駅が見えるが,東岩瀬の初見は1572年(元亀3)。近世初期に神通川の川筋が変化して港を形成,飛驒国と結ばれ,飛驒木材,能登塩の中継点となる。当町の支配は宿方,浦方,田地方に分割され,各町に肝煎(きもいり),組合頭があった。漁業も盛んで1611年(慶長16)に引網,手繰網が12あった。62年(寛文2)には駅馬24匹があり,宿方,田地方が御用を勤めた。70年に米蔵ができ,大坂廻米の積出港となる。文化・文政期(1804-30)から鰊肥を中心とする松前交易が始まり海商が輩出した。1807年(文化4)の人口は宿方410,浦方213,田地方140であった。57年(安政4)には廻船問屋20,渡海船持25,屎物商31,旅籠屋(はたごや)13,鍛冶屋6,紺屋12,医者4,売薬商売人53,猟船43であった。1925年ころからの東岩瀬港(のち富山港と改称)の整備,富山市内と結ぶ富岩運河の開通によって工場地帯となる。40年に富山市に合併。
執筆者:高瀬 保
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報