中瀬渡(読み)なかぜのわたし

日本歴史地名大系 「中瀬渡」の解説

中瀬渡
なかぜのわたし

中山道熊谷宿から上野国世良田せらだ(現群馬県尾島町)への脇往還道筋にあたり、中瀬村と利根川対岸の上野国平塚ひらづか(現群馬県境町)を結ぶ渡船場。平塚渡とも称される。新田義貞は鎌倉攻めの際に中瀬付近を渡ったといわれる。「風土記稿」は「老談記」を引用し、天正一二年(一五八四)北条氏邦が中瀬郷の原から対岸の平塚村へ渡河したのが平塚渡であると記している。利根川の河道の変更により渡船場もしばしば変わったが、延享四年(一七四七)出水により小角こすみ渡場が流出、中瀬村川岸かしに移されたという(「中瀬河岸場」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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