中牟田倉之助(読み)ナカムタ クラノスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「中牟田倉之助」の解説

中牟田 倉之助
ナカムタ クラノスケ


肩書
枢密顧問官

生年月日
天保8年2月(1837年)

出身地
肥前国佐賀

経歴
戌辰戦争に際し東北に従軍する。明治2年函館の役には朝陽艦長として奮戦しその勇名を轟かす。3年海軍中佐に任ぜられ、4年少将にのぼる。8年江華島事件に際しては西部指揮官として朝鮮出動。10年西南戦争に軍艦を率いて勲功をあげ、11年中将となる。横須賀・呉の鎮守府長官、海軍大学校校長などを歴任。26年には初代の海軍軍令部長となり、27年枢密顧問官となる。なお、17年華族に列して、子爵を授けられている。

没年月日
大正5年3月30日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中牟田倉之助」の解説

中牟田倉之助 なかむた-くらのすけ

1837-1916 幕末-明治時代の武士,軍人
天保(てんぽう)8年2月24日生まれ。肥前佐賀藩士。長崎海軍伝習所でまなび,戊辰(ぼしん)戦争では軍艦を指揮し箱館(はこだて)まで転戦した。明治11年海軍中将。横須賀・呉鎮守府初代司令長官や初代軍令部長をつとめた。枢密顧問官。大正5年3月30日死去。80歳。本姓金丸。名は武臣

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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