ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中野浩一」の意味・わかりやすい解説
中野浩一
なかのこういち
競輪,自転車競技選手。競輪選手を父にもち,高校卒業後,日本競輪学校に入学。1975年久留米競輪場でのデビュー戦で優勝し,以降 18連勝を記録。1976年小倉競輪場での競輪祭で新人王を獲得した。その後,競輪祭(競輪王),オールスター競輪,日本選手権競輪の三大タイトルを獲得。さらに 1977年の世界選手権サンクリストバル大会のトラックレース部門のスクラッチ(のちのスプリント)種目で日本人として初優勝して以降,1986年のコロラドスプリングズ大会まで 10連覇を果たした。1980年には 25歳の若さで,日本のプロスポーツ選手として初めて年間賞金総額 1億円を突破した。1992年引退。通算獲得賞金は 13億円。2000年シドニー・オリンピック競技大会でケイリンが正式種目として採用された際,国際自転車競技連合 UCIから指名を受けて,初代ペーサー(ペースメーカー)を務めた。2006年紫綬褒章受章。
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