自転車競技法に基づいてプロ選手の自転車競走を対象にトータリゼーター・システムの勝者投票券(車券)を発売している公認の賭(か)け事。
[倉茂貞助・日本自転車振興会]
第二次世界大戦後の窮乏した地方財政とくに戦災都市の復興と荒廃した自転車産業の振興を目的として自転車競技法期成連盟が提唱した自転車競技法が1948年(昭和23)7月に議員立法で成立し、同年11月小倉(こくら)市(現在の北九州市)で第1回競輪が開催された。この第1回の開催が予想以上の成功であったため、当時の地方財政の苦境を反映して急激に発展し、5年後の53年までに全国に63か所の競輪場が建設された。しかし競輪の急激な発展とともに賭け事がもつ種々の社会的な弊害が発生し、厳しい世論の批判を受け、国会などでしばしば存廃が論議されるとともに、競輪の諸制度、機構、運営等の改善および監督の強化などについて数回の法律改正が行われた。現在(2002年4月)は全国に競輪場の数が47か所、競輪を開催している道府県が9、市町村が89、計98で、2001年度(平成13)は全国で延べ3717日開催され、車券の総売上額が約1兆1709億円、入場者総数は約1460万人である。
[倉茂貞助・日本自転車振興会]
競輪の選手は2002年4月現在4111人が日本自転車振興会に登録されている。選手は競走成績によりS級とA級に区分され、級ごとに競走を行っている。級別は6か月ごとに変更し、S級の競走のほうが賞金額が多くなっている。全選手の約2割がS級選手である。
競輪選手になるには、日本自転車振興会が運営している日本競輪学校に入校し1か年の教育課程を終えたのち、日本自転車振興会が行う競輪選手の登録選手資格検定に合格しなければならない。日本競輪学校の入学資格は、満17歳以上24歳未満の日本国内に居住する男子で、日本競輪学校が行う身体検査ならびに学力、技能および人物についての入学試験に合格した者と定められている。また、1999年から、オリンピックなど国際的な大会で自転車競技またはその他のスポーツ競技において優秀な成績を収めた者を対象に、年齢制限の上限を29歳未満に緩和した特別選抜入学試験制度もある。競輪選手は毎年1回、75人程度が募集されているが、競輪選手の収入が比較的に高いこともあって応募者が多く、かなり狭い門になっている。競輪学校は静岡県の伊豆市にあって、約16万平方メートルの敷地内に約170人を同時に収容できる諸施設を完備し、学科、実科、教養について全寮制で厳しい教育が行われている。
[倉茂貞助・日本自転車振興会]
競輪は、都道府県および総務大臣が指定した市町村(これらを施行者という)が開催することができ、開催回数は月に2回以内、1回は8日以内、1日12レース以内と定められている。施行者は、開催にあたっては、全国を7ブロックに分け、ブロックごとに設立されている特殊法人の自転車競技会に開催の実務を委任する。
競輪のレースのなかでは、毎年末に開催される競輪グランプリが最高峰のレースである。競輪グランプリの優勝者は、その年の「競輪王座」と目される。競輪グランプリへの出場権がかかるビッグレースには、日本選手権競輪、オールスター競輪、高松宮(たかまつのみや)記念杯競輪、寛仁親王牌(ともひとしんのうはい)・世界選手権記念トーナメント、全日本選抜競輪、競輪祭がある。ほかにも、高松宮記念杯競輪の前哨戦(ぜんしょうせん)となる東西王座戦、全日本選抜競輪の前哨戦となるふるさとダービー、競輪祭の前哨戦となる共同通信社杯競輪、若手有望選手の登竜門的なレースであるヤンググランプリなどがある。これらのビッグレースに優勝することができるのは、競輪選手のなかでも真に実力のある選手のみである。
競走は、すり鉢型の傾斜面に囲まれた楕円(だえん)形の競走場で行われるが、1周の距離は500メートル、400メートル、335メートル、333.3メートルの4種類があり、走路面はコンクリートやアスファルトなどで舗装されている。競走の種類は、かつては普通競走、先頭固定競走、スプリント・レース、複式競走車競走、先頭責任競走、クロス・レース、ミス・アンド・アウト・レース、ポイント・レースの8種類が行われていたが、現在は先頭固定競走のみが行われている。先頭固定競走とは、先頭誘導員がレースの途中まで決められたペースで選手を誘導して行う競走である。
[倉茂貞助・日本自転車振興会]
競走に出走する選手の数は、ほとんどの場合1レース9人であるが、欠場などで選手数が不足した場合は、6人まで減らすことがある。車券は1枚100円の単位で発売されており、全9種類ある。「単勝式」は1着になる選手を当てる賭け式、「複勝式」は3着まで(出走する選手が7人以下のときは2着まで)に入る選手を1人当てる賭け式である。二連勝単式は1着と2着になる選手の組合せを着順どおりに当てる賭け式で、出走選手をいくつかの枠に分けた枠番号で投票する「枠番号二連勝単式」と、選手個人につけられた選手番号で投票する「選手番号二連勝単式」がある。「選手番号三連勝単式」は1着から3着までに入る選手の組合せを着順どおりに当てる賭け式で、選手番号で投票する。二連勝複式は1着と2着になる選手の組合せを着順を問わず当てる賭け式で、枠番号で投票する「枠番号二連勝複式」と選手番号で投票する「普通選手番号二連勝複式」がある。「選手番号三連勝複式」は1着から3着までに入る選手の組合せを着順を問わず当てる賭け式で、選手番号で投票する。「拡大選手番号二連勝複式(ワイド)」は1着と2着、1着と3着または2着と3着になる選手の組合せを着順を問わず当てるもので、選手番号で投票する。的中した車券には、車券の種類ごとの売上額の75%に相当する金額を案分して払戻金として支払うことになっている。
競輪競走は、あまり早く先行すると風圧などにより不利になるので、走行中の位置のとり方と最後の1周の追い込みが勝負の鍵(かぎ)となる。選手には大別すると、先行する型と、先行する選手の後方に位置して最後にまくる(追い抜く)型の二つがある。出走選手のなかに二つの型の選手がそれぞれ何人いるか、それに選手の出身地、縁故関係、交友関係などを考慮して、競走の展開と最後の追い込みがどうなるかを推理することがたいせつである。つまり各選手の能力と心理をあわせて推理するところに競輪予想の楽しみがある。
[倉茂貞助・日本自転車振興会]
払戻金を支払った残りの車券の売上額の25%が施行者の収入となるが、そのなかから、選手の賞金、自転車競技会に実務を委任するための交付金など開催のための諸経費、および法律で定められている一定率の日本自転車振興会に対する交付金を支払った残りが施行者の純収益金となる。競輪開始以来1999年度までの純収益金の総計は約2兆5457億円で、おもに学校、住宅、病院その他公共施設の建設、道路等の改修、災害の復旧などに使われている。施行者から法律の定めに従って日本自転車振興会に交付される金額は、一部の経費を除いて自転車産業その他機械産業の振興、スポーツ、社会福祉、その他公益の増進のために使われていて、2001年度までの総計は約1兆5473億円に達している。
[倉茂貞助・日本自転車振興会]
競輪選手は日本自転車競技連盟に加入していて、1957年(昭和32)以来世界選手権自転車競技大会の一部の種目に代表選手を派遣している。競輪選手は短距離種目が得意で、中野浩一(こういち)は77年から10年間連続してスプリントで優勝し、連続優勝の世界新記録を樹立した。オリンピックにおいては、1996年(平成8)のアトランタ大会からプロの自転車競技選手が参加できるようになり、同大会では競輪選手の十文字貴信(じゅうもんじたかのぶ)が1000メートルタイムトライアルで銅メダルを獲得した。また、1981年から毎年欧米の有名選手を8名程度招待し、全国のおもな競輪場で「国際競輪」として競走に参加させている。
これらの競輪選手の活躍や積極的な国際交流などによって、競輪は世界の自転車競技関係者の注目を集めるようになった。韓国では、日本をモデルにした競輪が1994年から行われており、2000年12月にはソウルに次いで国内2か所目となる競輪場が昌原(しょうげん)にオープンした。また、賭けを伴わない「ケイリン」は、自転車競技の種目の一つとして多くの国で行われており、2000年のオリンピック・シドニー大会から自転車競技の正式種目として採用された。
[倉茂貞助・日本自転車振興会]
『倉茂貞助著『競輪誕生の想い出』(1979・週間レース社)』▽『佐々木晃彦著『公営競技の文化経済学』(1999・芙蓉書房出版)』▽『松垣透著『競輪に賭ける!』(2000・彩流社)』
〈自転車競技法〉(1948)により公認,運営されているプロ選手の自転車競走。競馬と同様,勝者投票券(車券)が発売される。日本では第2次世界大戦前からアマチュアスポーツとしての自転車競技が行われていたが,これが戦後のスポーツ興行化の波に乗ってプロ化し,競馬になぞらえて競輪と呼ばれるようになった。1948年11月,小倉市(現,北九州市)で最初の競輪レースが行われた。戦後の日本の窮乏した地方財政および疲弊した経済情勢全般の健全化と,自転車産業の振興をはかるという開催のねらいは予想外の成功をおさめ,各地方自治体はこの後,積極的に競輪開催を推し進めるようになった。競輪施行者(都道府県と自治大臣の指定を受けた市町村)は勝者投票の的中者に対し,車券売上金の75%に相当する金額を,各車券に案分して払戻金の形で支払い,残りの25%は施行者収益として,各地方自治体の収入となる。各地方自治体はこのうち選手賞金をはじめとする諸経費を差し引き,競輪の運営母体である自転車競技会,日本自転車振興会に一定率を交付し,その残額を純益として歳費に繰り入れる。48年の開催初期には競輪場は全国に3ヵ所,開催日数32日,入場者数18万8733人,売上高2億4000万円,選手数229人だったが,2005年度には競輪場47,選手数3735人(うち最高クラスのS級1班130人),売上高8775億円に達している。また地方財政への活用額は多いときには年間1000億円を超え,1948年から95年までの総計は約2兆7000億円になった。競輪はそのギャンブル性により,必ずしも平穏無事に発展してきたとはいえない。開始当初は,運営の不手際や選手および執務員の間に法律知識が十分になかったことから違反者を出し,50年には鳴尾,川崎両競輪場で騒擾(そうじよう)事件が起こるなど,社会的非難を浴びたこともあった。しかし,そのつど,運営面での改善もあり,また施行者収益が自転車その他の機械産業や体育,公益事業の振興に役立てられてきたことは,その大衆娯楽の性格とともに競輪の社会的意義として見逃すことができない。
車券には単勝式,複勝式,連勝単式,連勝複式の4種類がある。単勝式は1着になった選手,複勝式は出走選手が5人以上7人以下の場合には1着ないし2着,出走選手が8人以上の場合には1,2,3着の選手を,連勝単式は1,2着になった選手をその着順どおりに1組,連勝複式は1,2着になった選手を着順に関係なしに1組,それぞれ的中させればよい。競輪場の年間開催は12回で,1回の開催期間は6日間と定められている。競輪の種類には普通競輪,記念競輪(競輪場の開設を記念して毎年1回開催される),特別競輪の3種類があり,特別競輪には日本選手権(競輪ダービー),オールスター,高松宮記念杯,競輪祭,全日本選抜,寛仁親王牌・世界選手権記念の六大特別競輪がある。この特別競輪は,競輪の健全な娯楽としての意義をひろく高揚することをその目的とし,そのため,運営の基本方針を決定する特別競輪運営委員会を設け,また特別競輪出場選手選考委員会により,品性,技能のとくにすぐれた選手を選出し,名実ともに最高の競輪タイトル戦として実施される。またオールスター競輪はこれと異なり,ファン投票を基本に選手選考を行っている。現在の競輪は直径27インチ(約68.8cm)の車輪をもつ1人乗り自転車(軽快車)を使用し,コンクリートまたはアスファルトで舗装し,コーナー部分に急傾斜を設けたすりばち状の競輪場で行われる。レースは一般に普通競走といわれるもので,数人の競技者が普通1000m以上の一定距離を走り,着順判定により勝敗を決定する。しかし先頭を走る選手は風圧抵抗を受けるうえ,後続競技者の動静判断がむずかしく,作戦的にも不利となるため,互いにけん制し合ったり,駆け引きが展開され,レースを興味あるものにしている。競輪選手の資格を得るためには,まず日本自転車振興会の行う試験を経て競輪学校に入学し,そこで1年間の研修を受け,資格検定に合格して初めて選手として登録され,レースに出場することができる。選手の賞金も,売上高に伴って年々大きくなり,80年には中野浩一がプロスポーツ選手としては初めて,年間獲得賞金1億円を突破。その後も1億円獲得選手は次々と生まれ,92年度には吉岡稔真が1億9000万円余を記録している。
→公営賭博
執筆者:並河 史樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…戦後初の国際競技参加は,51年にインドで開かれた第1回アジア競技大会であり,杉原鏘一郎らの活躍で全種目を制覇した。 日本における実質的なプロ競技は1948年に開始された競輪である。したがって日本のプロ競技は欧米諸国のそれと異なり競輪競走が中心となっているが,52年に第1回全日本プロフェッショナル自転車競技選手権大会が東京後楽園で行われて以来,いろいろな競技種目が採用されるようになっている。…
※「競輪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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