中野焼古窯跡群(読み)なかのやきこようせきぐん

日本歴史地名大系 「中野焼古窯跡群」の解説

中野焼古窯跡群
なかのやきこようせきぐん

[現在地名]平戸市山中町

安満やすまん岳の中腹にある江戸時代の陶磁器窯の跡。神曾根こうぞね川支流の紙漉かみすき川の流域に二ヵ所あり、下手を皿焼窯、上手を茶碗窯とよぶ。県指定史跡。一説には慶長三年(一五九八)朝鮮半島に出兵した松浦鎮信巨関を連帰って陶器を焼かせたことに始まるという。平戸焼の基本を作ったとされる。寛永二〇年(一六四三)三川内みかわち山・木原きはら山・江永えなが(現佐世保市)の三皿山の棟梁に巨関の子今村三之丞が任じられ、慶安三年(一六五〇)までに焼物師が三川内に移されていることから(「山本霜木覚書」松浦史料博物館蔵)、この頃には閉窯になっていたらしい。ただし断続的に窯が用いられていたともいう。平成四―六年(一九九二―九四)に発掘調査。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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