平戸焼(読み)ヒラドヤキ

デジタル大辞泉 「平戸焼」の意味・読み・例文・類語

ひらど‐やき【平戸焼】

長崎県佐世保市三川内みかわちから産する磁器。慶長3年(1598)藩主松浦氏に従って朝鮮から渡来した巨関が始めた中野焼が起源白磁染め付け色絵などで有名三川内焼

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精選版 日本国語大辞典 「平戸焼」の意味・読み・例文・類語

ひらど‐やき【平戸焼】

  1. 〘 名詞 〙 長崎県佐世保市三川内で製する磁器。素地の純白と精巧な製作によって賞美される。慶長三年(一五九八)肥前平戸藩松浦鎮信が朝鮮から巨関ら数十人の陶工を連れ帰り焼かせたのにはじまるといわれる。明治以後は欧米にも輸出された。三川内焼。
    1. [初出の実例]「平戸焼と南京とは似たやうでも違ふ所あり」(出典:談義本・地獄楽日記(1755)五)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平戸焼」の意味・わかりやすい解説

平戸焼
ひらどやき

長崎県北部の陶磁器窯で、三川内(みかわち)焼ともいう。広義には江戸初期から松浦(まつら)氏の御用窯として活躍した、平戸藩内の陶磁器窯全体をさす。領内には松浦鎮信(しげのぶ)が1598年(慶長3)朝鮮半島の陶工巨関(きょかん)らに開窯させたという平戸の中野窯(現平戸市紙漉(かみすき))があり、柳の元(もと)窯、葭(よし)の元窯、牛石窯、畑ノ原窯、古皿屋窯などとともに唐津(からつ)焼系の陶器を焼成した。この中野窯の陶工が1650年(慶安3)に佐世保(させぼ)の三川内に移って作陶を始めており、創始の時期は判然としないが、江戸前期には白磁染付がある。これは天草(あまくさ)の磁石を原料としていることから乳白色の素地(きじ)に特色があり、澄みきった淡い風合いで高雅な趣(おもむき)に満ちている。江戸末期には入念な細工で独特の作風をつくりあげ、1871年(明治4)に民営に移ってからは欧米へも大いに輸出された。

[矢部良明]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平戸焼」の意味・わかりやすい解説

平戸焼
ひらどやき

長崎県佐世保市三川内 (みかわち。三河内) で産する磁器。三河内 (みこうち) 焼ともいう。安土桃山時代,平戸藩主松浦 (まつら) 鎮信が朝鮮人陶工を連れ帰って,平戸市山中町に御用窯を開いたが,元和8 (1622) 年2代松浦隆信のとき三川内に移され現代まで続いている。作品は茶器,酒器,花器が多く,精巧な白磁,青磁を産する。唐子絵を染付けたものは特に有名。

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旺文社日本史事典 三訂版 「平戸焼」の解説

平戸焼
ひらどやき

江戸時代,平戸藩で焼かれた陶磁器
慶長の役後の1598年,藩主松浦鎮信 (まつらしげのぶ) が朝鮮から連れ帰った陶工巨関に始まる。初め朝鮮風陶器を焼いたが,17世紀中ごろ天草の白磁土を混用し,南京風の白磁器を生産した。

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