中院家(読み)なかのいんけ

改訂新版 世界大百科事典 「中院家」の意味・わかりやすい解説

中院家 (なかのいんけ)

村上天皇皇子具平(ともひら)親王より出た村上源氏で,内大臣久我通親の子大納言通方を始祖とする堂上公家。家格は大臣家。2代通成,4代通重,5代通顕,8代通守など,勅撰集入集の歌人が輩出したが,その後も近世初頭の通勝・通村父子など歌人として著名である。6代通冬の日記《中院一品記》,10代通秀の日記《十輪院内府記》のほか,近世歴代の家記も多く残り,京都大学に所蔵されている。また通勝は古典にも造詣が深く,細川幽斎の委託をうけて《源氏物語》の注釈書を集成した《岷江入楚(みんごうにつそ)》55巻を著している。1884年通富のとき,伯爵を授けられた。なお2代通成の弟雅家は別に家を起こした。南朝の柱石といわれた親房などを出した北畠家がこれである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中院家」の意味・わかりやすい解説

中院家
なかのいんけ

村上源氏(むらかみげんじ)の一家。村上天皇の孫で源姓を賜った師房(もろふさ)の5世の孫通親(みちちか)の五男通方(みちかた)が、鎌倉初期に分家して中院家の祖となった。その子通成(みちなり)は内大臣(ないだいじん)となり、以後中院家は内大臣を極官(ごっかん)とする大臣家となった。室町時代の通秀(みちひで)から江戸中期の通躬(みちみ)までは、代々古今(こきん)伝授を受け、学問の家として知られた。とくに通秀とともに通勝(みちかつ)、通村(みちむら)が学者として有名である。通村の母が細川幽斎(ほそかわゆうさい)の娘であることから、近世では武家との縁組が多い。近世後期には男子に恵まれず、久世(くぜ)家などから養嗣子(ようしし)を迎えた。近世の知行高(ちぎょうだか)は初め300石、のちに500石となった。明治維新後、華族に列し伯爵を授けられた。

[飯倉晴武]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中院家」の意味・わかりやすい解説

中院家
なかのいんけ

村上源氏久我 (こが) 家一流。通親の子通方を祖とする。極官は大臣。明治になって伯爵。

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世界大百科事典(旧版)内の中院家の言及

【久我家】より

…すなわち賢子の兄雅実は太政大臣に昇り,後に家祖と仰がれたが,京都の南郊久我(古我・木賀ともあり)に邸宅を有し〈久我太政大臣〉と称されたのが家名の由来である。鎌倉時代初期に権勢を得た通親の男通具が堀河家を,定通が土御門(つちみかど)家を,通方が中院(なかのいん)家を,孫通有が六条家を興した。さらに江戸時代に入り晴通の孫具起が岩倉家を,有能が千種家を,通堅の孫通廉が東久世家を,また敦通の男通式が久世家を,孫季通が梅渓家を興し,千種有能の男雅永が植松家を興すなど,庶流の家も多い。…

※「中院家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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