デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中院通維」の解説 中院通維 なかのいん-みちこれ 1738-1824* 江戸時代中期-後期の公家。元文3年7月19日生まれ。久我通兄(こが-みちえ)の次男。中院通枝(みちえだ)の養子。桃園天皇につかえ左近衛(さこんえの)少将となる。竹内(たけのうち)式部にまなんで王政復古をこころざす。宝暦事件で免官となり,蟄居(ちっきょ)を命じられ出家した。文政6年12月13日死去。86歳。初名は惟孝。法名は見山。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
367日誕生日大事典 「中院通維」の解説 中院通維 (なかのいんみちこれ) 生年月日:1738年7月19日江戸時代中期;後期の公卿1823年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報