朝日日本歴史人物事典 「中院通茂」の解説
中院通茂
生年:寛永8.4.13(1631.5.14)
江戸中期の公家。和歌,有職に通じる。権大納言中院通純の子。母は高倉永慶の娘。明暦1(1655)年参議,3年に権中納言,万治3(1660)年権大納言,寛文10(1670)年9月から延宝3(1675)年2月まで6年間武家伝奏を務め,公武間の斡旋に尽力した。宝永1(1704)年内大臣,翌2年従一位に叙される。幼年より祖父通村,父通純から家職としての和歌を学び,寛文4年5月には後水尾法皇から古今伝授を受け,のちに霊元院歌壇の指導的役割を果たした。元禄15(1702)年から晩年にかけて仙洞において『未来記』『雨中吟』『詠歌大概』を講釈。歌道鍛練の功績により,元禄16年には幕府から200石の加増を受けた。歌集『老槐和歌集』がある。武家伝奏の役務を通じた徳川光圀らの武家との交友も注目され,『中院通茂日記』は彼の行動を記した貴重な史料。法号渓雲院。京都廬山寺に葬られる。<参考文献>近世堂上和歌論集刊行会編『近世堂上和歌論集』
(母利美和)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報