朝日日本歴史人物事典 「丸目蔵人」の解説
丸目蔵人
生年:天文9(1540)
安土桃山・江戸前期の兵法者。もと山本姓で与三右衛門を父に,肥後国(熊本県)八代郡人吉に生まれる。諱は長恵,号は徹斎。上泉信綱 に学んで新陰流印可を受け,信綱が室町幕府将軍足利義輝に兵法を上覧するに当たり,その打太刀を務めたという。天正9(1581)年人吉藩主相良長毎の代に剣道指南役となり以後,相良家当主らに剣を教えるかたわら,タイ捨流を創出。武芸十八般に通じたが,和歌,笛,乱舞などにも優れた。晩年は球磨郡霧ノ原の開拓に従事し,90歳で没。墓は球磨郡錦町にある。
(中井一水)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報