丹北郡(読み)たんぼくぐん

日本歴史地名大系 「丹北郡」の解説

丹北郡
たんぼくぐん

平安時代後期に丹比たじひ郡から分立した郡。「たんぽく」ともいったが、近代の郡名の訓は「たんぼく」(内務省地理局編纂「地名索引」)。延久四年(一〇七二)九月五日の太政官牒(石清水文書)に初見(→丹比郡。ほぼ同時期に丹南八上やかみ二郡も分立しており、丹北郡は丹比郡のうちほぼ北半部を占めた。その範囲はおよそ、竹内街道を南限、東除ひがしよけ川を東限、西除川を西限とする地域と推定され、北は渋川郡および摂津国住吉郡、東は志紀郡、南は丹南・八上両郡、西は和泉国大鳥郡に接し、丹比郡一一郷(和名抄)のうち依羅よさみ三宅みやけ田邑たむら丹下たんげの四郷を含んだと考えられる。ただし近世の丹北郡は上記の範囲とは若干異なっており、現在の行政区画では松原市の大部分と大阪市東住吉区・同平野区・藤井寺市・八尾やお市・羽曳野はびきの市の各一部にあたる。

〔中世〕

中世の当郡には矢田やた(現松原市・東住吉区)、松原庄・羽咋はくい郷・高木たかぎ庄・大堀おおぼり(現松原市)長原ながはら(現平野区)などがあった。室町時代、河内守護畠山氏の内紛に伴い河内一円は戦場と化すが、当郡も例外ではなかった。三宅若林わかばやし(現松原市)太田おおた(現八尾市)などに陣が構えられたことが史料にみえ(「蔭涼軒日録」明応二年三月二日条ほか)、大堀塁・別所べつしよ城・一津屋ひとつや(現松原市)丹下(現羽曳野市)小山こやま(現藤井寺市)などが築かれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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