丹生子村(読み)にゆうのみむら

日本歴史地名大系 「丹生子村」の解説

丹生子村
にゆうのみむら

[現在地名]大町市大字やしろ 山下やました 丹生子

現大町市の中部、中山なかやま山地高瀬たかせ川へ最も迫り、山裾が直接高瀬川へ没入する険阻な場所のすぐ北に位置する。北には現木舟きぶね集落がある。丹生子の名は、「にいのみ」すなわち台地の傾斜面に立地した鎌倉時代以前の墾田に発する地名と解される。

「高白斎記」は、天文二〇年(一五五一)一〇月一四日、武田晴信の勢力下にあった丹生子が、村上義清によって攻め落されたことを報じているが、これを村名丹生子の文献上の初見とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む