日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹羽藤吉郎」の意味・わかりやすい解説
丹羽藤吉郎
にわとうきちろう
(1856―1930)
薬学者。薬学博士。佐賀藩士の二男に生まれ、15歳で大学南校に入り、カドリーJakob Kaderli(1827―1874)にドイツ語を学ぶ。1873年(明治6)医学校(東京大学の前身)製薬学科で、ランガルトに師事、製薬化学を研究。1878年卒業。1880年日本薬学会創立のメンバーの一人となる。1881年助教授となり、1886年の学制改革に伴う学科廃止に抗議、森有礼(ありのり)文相に直言して復活させた。1900年(明治33)ベルリン大学に留学、トームス教授に師事して製薬化学を専攻した。帰国後、1907年帝国大学教授に就任して、薬品製造学講座を創設し、インジゴの合成開発、カフェイン製造の工業化に成功した。政府の要請で産学協同の日本薬品工業学会創立会長となり、陸軍依頼の火薬安定剤ほかの製薬指導に寄与。また大学附属病院初代薬局長としては医薬分業標榜(ひょうぼう)の模範的薬局の基礎を築いた。日本薬学会2代会頭。日本薬剤師会会長として医薬分業達成に尽力した「分業の父」である。
[根本曽代子]