改訂新版 世界大百科事典 「丹羽長重」の意味・わかりやすい解説
丹羽長重 (にわながしげ)
生没年:1571-1637(元亀2-寛永14)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…源頼朝の奥州征伐後,結城氏が領し,1289年(正応2)搦目城を築いて白川氏をとなえた。 1627年(寛永4)丹羽長重が10万0700石で入部し,白河小峰城の大改修を行い近世城郭の偉容を整え,城の南側に大手門を設け,これとともに家中屋敷,町人町を設定するなど城下町の町割りを行った。奥州道中の宿駅であり,奥羽諸大名の参勤交代の要路であったことから,白坂宿から城下に入ると,天神町,中町,本町,横町,田町と並び,これを通り五町と呼んだ。…
…陸奥国(福島県)白河郡白河に藩庁を構えた藩。1627年(寛永4)丹羽長重が10万石で入部,白河城の大改修と城下町の整備をおこない,近世城下町として面目を一新した。43年松平(榊原)忠次が14万石で就封し,以後幕末まで奥州道中の重要拠点として,49年(慶安2)本多,81年(天和1)松平(奥平),92年(元禄5)松平(結城),1741年(寛保1)松平(久松),1823年(文政6)阿部氏と領主が交替,石高は10万石から15万石で譜代名門大名が配置された。…
…町域の大部分が山林で,久慈川と阿武隈川の支流社川の流域にわずかに平地が広がる。中心集落の棚倉は久慈川の段丘上にあり,1622年(元和8)丹羽長重が棚倉城を築いて以降,城下町として栄えた。現在も郡の中心地で,JR水郡線,国道118号線が郡山と水戸を結んでいる。…
…1603年(慶長8)立花宗茂が2万5000石で入封し藩をおこした。22年(元和8)丹羽長重が入封し,赤舘に代わって棚倉城を築城したが建設途上で転封され,27年(寛永4)磐城平藩主内藤氏の一族内藤信照が5万石で入封して,本格的な藩体制確立の諸政策を打ち出した。しかし1705年(宝永2)弌信(かずのぶ)が駿河田中へ移封された後は,幕末まで太田氏,松平氏,小笠原氏,井上氏,松平氏,阿部氏と,しばしば藩主が交替した。…
※「丹羽長重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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