乃美村(読み)のみむら

日本歴史地名大系 「乃美村」の解説

乃美村
のみむら

[現在地名]豊栄町乃美

別府べふ村の西に位置し、沼田ぬた川の支流椋梨むくなし川が当村を東流して鍛冶屋かじや村に至る。流域の低地部と板鍋いたなべ(七五七・二メートル)北西山麓の緩傾斜面に農耕地が展開。久芳くば(現福富町)との境に位置する西原にしはら(七三三・六メートル)の東山麓の丘陵上に、古墳時代後期のみやさこ古墳群があり、須恵器・銀環・玉類などが出土、この地方が早くから開けていたことが知られる。「和名抄」の豊田郡能美のみ郷に比定され、もと鍛冶屋別府の両村を包含していたと考えられる。

建武三年(一三三六)一一月二六日付足利尊氏寄進状(本圀寺文書)能見のみ庄がみえ、京都本圀ほんこく寺造営料所であった。しかし文和元年(一三五二)一〇月六日の足利義詮安堵(園城寺文書)によると、能見庄などの地頭職が近江園城おんじよう寺造営の期間中、料所として同寺に安堵されている。

文和四年九月二六日、足利義詮は野美のみ城以下の戦闘において、小早川春平など小早川氏の活躍を賞し(小早川家文書)、永徳三年(一三八三)三月二二日の掃部助頼秀書状写(同文書)では、頼秀が小早川春平に山名方の奉公をやめるので野美郷を安堵してほしいと述べており、小早川氏の進出がうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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