久保良英(読み)くぼよしひで

日本大百科全書(ニッポニカ) 「久保良英」の意味・わかりやすい解説

久保良英
くぼよしひで
(1883―1942)

心理学者。佐賀県生まれ。1909年(明治42)東京帝国大学文科大学哲学科(心理学専修)卒業。同窓に高橋穰(たかはしゆたか)(1885―1968)がいる。1911年東京市視学。1913年(大正2)渡米、クラーク大学に学び学位をとり、ヨーロッパを回り帰国。北垣守経営の児童研究所の知能部門の主任となる。1929年(昭和4)広島文理科大学教授。彼の心理学は教育心理学的傾向が強く、『児童研究所紀要』全17巻(1918~1936)に多くの論文を発表し、また知能検査作製に貢献した。早くから精神分析ゲシュタルト心理学を紹介した。著書に『形態心理学』(1930)、『児童心理学』(1931)、『精神分析学』(1932)などがある。

[宇津木保]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「久保良英」の解説

久保 良英
クボ ヨシヒデ

明治〜昭和期の心理学者 広島高師教授。



生年
明治16(1883)年4月22日

没年
昭和17(1942)年11月12日

出生地
佐賀県藤津郡久間村

学歴〔年〕
東京帝大文科大学哲学科心理学専修〔明治42年〕卒,クラーク大学卒

経歴
クラーク大講師、東京帝大講師、広島高師教授を歴任。帰国直後の児童教養研究所理事時代に「児童研究所紀要」を刊行、同研究所が閉鎖後も、多くの研究者が協力し昭和12年までに17巻が刊行され当時の児童心理の研究を網羅したものとして定評がある。ビネー式知能検査を標準化した。6年雑誌「応用心理研究」を創刊。「実験心理学精議」(全2巻)、「児童心理学」など多数の著書、論文がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久保良英」の解説

久保良英 くぼ-よしひで

1883-1942 大正-昭和時代前期の心理学者。
明治16年4月22日生まれ。アメリカのクラーク大に留学し,昭和4年広島文理大(現広島大)教授。はやくから精神分析やゲシュタルト心理学を紹介し,ビネー式知能検査の標準化にもつくした。昭和17年11月12日死去。60歳。佐賀県出身。東京帝大卒。著作に「精神分析学」「児童心理学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の久保良英の言及

【教育相談】より

…これはいわゆるガイダンスともいわれるものであるが,主たるねらいは学力の向上,進学をはじめとする進路の選択の適正化などである。 日本において最初に教育相談が組織的に行われたのは,心理学者久保良英による児童教養研究所(1917年東京に設立)でのものであるとされる。しかし教育相談が本格化するのは第2次大戦後であり,全国各地に公立・私立の教育研究所(教育相談室)が設置され,学校内での教師による教育相談とあわせて急速に普及発展してきている。…

【児童心理学】より

…またアメリカの児童研究運動の影響を受けて,同年に医学,心理学,教育学などの専門家によって日本児童学会(機関誌《児童研究》)が結成された。続いて大正時代には,留学してホールを師とした久保良英が児童研究所をつくり,《児童研究所紀要》を刊行するなどして大きく寄与した。昭和初期になるとビューラー夫妻,ウェルナーらの学派の成果も導入され,日本の児童心理学は活況を呈するようになった。…

※「久保良英」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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