日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲシュタルト心理学」の意味・わかりやすい解説
ゲシュタルト心理学
げしゅたるとしんりがく
Gestalt psychology
ドイツの心理学者であるウェルトハイマーやケーラー、コフカ、レビンらのベルリン学派が提唱した心理学。ゲシュタルト(形、形態)という語はもとはドイツ語であるが、英語に適訳がないのでそのまま使われている。形態心理学ともいう。
ウェルトハイマーがフランクフルトでケーラー、コフカらを被験者にして行った『運動視の実験的研究』(1912)が出発点になった。この研究は、静止した二つの刺激を異なる場所に継時的に提示したときに現れる運動の印象(映画はその例。実際には存在しない運動が見えるので仮現運動ともいう)を研究したもので、従来ブントらの主張していた残像説や眼球運動説などの心的要素の結合による説明を退けて、ありのままの運動とそれに対応する生理的過程をそれぞれまとまりのある現象、すなわちゲシュタルトとしてとらえる考え方を提唱した。
[宇津木保]
時代精神
19世紀末から20世紀初めのころのドイツの心理学界は、イギリスの連合心理学につながるブントの要素的な構成心理学が主流を占めていたが、それに対して全体性を重視する反主流派が台頭してきた時代でもある。たとえば、ディルタイの精神科学的な記述心理学、クリューガーの全体心理学、シュテルンの人格心理学、そしてゲシュタルト心理学などである。またエーレンフェルスChristian von Ehrenfels(1859―1932)のゲシュタルト質、ルビンの「図と地」、カッツの色の現れ方の研究なども同じ線に沿ったものであり、ゲシュタルト心理学から高く評価された。
[宇津木保]
研究領域
ゲシュタルト心理学は知覚の領域でもっとも華々しい成果を収めたが、そのほかにもケーラーの『類人猿の知恵試験』(1917)、『物理的ゲシュタルト』(1920)および記憶に関する研究、コフカの『発達心理学』(1921)、レビンの情緒や動機に関する初期の研究および渡米後の社会心理学、グループ・ダイナミックス、感受性訓練の研究、ウェルトハイマーの『生産的思考』(1945)の研究、心理物理的同型説の線に沿ったケーラーの図形残効の研究、レビンのトポロジー心理学の主張など、その領域は多方面にわたっている。機関紙『心理学研究』は1921年に始まり1938年まで続いた。
[宇津木保]
政治との関係
ゲシュタルト心理学の代表者としてあげた4人のうち、ケーラーを除く3人はみなユダヤ人だったので、ナチスの台頭と第二次世界大戦は彼らのうえに大きな影響を与えた。コフカは早く渡米していたが、ウェルトハイマーとレビンは1933年にナチスの迫害を避けて渡米し、後に残ってナチスと戦ったケーラーも1934年にはアメリカに渡って職を求めた。こうしてゲシュタルト心理学自体がドイツにおける根拠を失い、アメリカに移植されることになった。これは精神分析などの場合と同じく、20世紀での「民族大移動」の一環でもあった。
[宇津木保]
ゲシュタルト心理学の影響
アメリカに対するゲシュタルト心理学の紹介は早くコフカによって行われ、ヘルソンその他の信奉者を得たが、本格的な影響がみられたのはゲシュタルト派の心理学者が続々と渡米してきた後のことである。ゲシュタルト運動はニューヨークにいたウェルトハイマーを中心に行われ、1956年にはケーラーがアメリカ心理学会から特別科学貢献賞を受け、1959年には同会の会長に選ばれており、ゲシュタルト心理学がアメリカの風土に定着したことを示している。ことに社会心理学の領域ではレビンの「場の理論」およびその人柄の与えた影響が大きかった。レビンの周囲にはドイツ時代からゼイガルニークB. V. Zeigarnik(1900―1988)のような若い研究者が集まっていたが、アメリカでも彼を中心に「アイオワ・トポロジー・グループ」が形成され、アッシュSolomon Eliot Asch(1907―1996)、ハイダーFritz Heider(1896―1988)、フェスティンガー、リピットRonald Otis Lippitt(1914―1986)、カートライトなど多くの心理学者がレビンの影響を受けた。
日本は早くからゲシュタルト心理学の強い影響を受け、昭和初期から第二次世界大戦中や戦後にかけての日本の心理学界はゲシュタルト心理学ブームの時代で、いまもその影響が残っている。
[宇津木保]
『ケーレル著、佐久間鼎訳『ゲシタルト心理学』訂正第4版(1938・内田老鶴圃)』