久地村(読み)くちむら

日本歴史地名大系 「久地村」の解説

久地村
くちむら

[現在地名]安佐北区安佐あさ町久地

東に高八たかはち(四二九・七メートル)、中央にかんむり(五七三メートル)尻高しりたか(五五六・七メートル)があり、その間を吉山よしやま川が北流し、西から東へ蛇行する太田おおた川とぬので合流する。さらに冠山・尻高山の西側も高山たかやま川が北流し、その下流にも村落が開ける。東は毛木けぎ村、西北は山県郡あな(現加計町)である。北は太田川を挟んで小河内おがうち村、南は吉山川をさかのぼって阿戸あと(現安佐南区)に至る。

正治元年(一一九九)一二月日付の伊都岐島社政所解(新出厳島文書)の「朔幣田八町四段」のなかに「久知村七反」とみえ、鎌倉中期と推定される三月日付の安芸国衙領注進状(田所文書)では「杣村二十五町五段」のうちに含まれる村として「久知村一丁四反六十歩」があり、「小乃原一丁三反 官米三斗代」「即村一反六十歩 乃米三斗代」と記す。


久地村
くじむら

[現在地名]高津区久地

東は溝口みぞのくち村、西と南は下作延しもさくのべ村、北は荏原えばら宇奈根うなね(現東京都世田谷区)の飛地に接する。多摩川に沿う北東部は川辺かわなべとよばれて独立集落をなし、西部は丘陵となる。田園簿に村名がみえる。近世を通し幕府直轄領。延宝九年(一六八一)五月諏訪河原すわがわら村・久本ひさもと村・末長すえなが村とともに矢倉沢やぐらさわ往還二子ふたこ宿・溝口宿の助郷村となる(「二子溝口村助郷帳」森文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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