久松義典(読み)ヒサマツ ヨシノリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「久松義典」の解説

久松 義典
ヒサマツ ヨシノリ


別名
幼名=芳次郎 号=狷堂

生年月日
安政2年10月(1855年)

出生地
江戸

出身地
伊勢国桑名(三重県)

学歴
東京英語学校中退

経歴
明治12年栃木の師範学校へ赴任し、間もなく校長となる。同年「泰西 雄弁大家集」正続2冊を刊行。栃木県内で自由民権の利を説き、15年辞職して上京立憲改進党入党すると共に報知新聞社に入社、「泰西 革命史鑑」を刊行。23年「北海道毎日新聞」主筆。この間、大阪新報社に招かれ改進主義を遊説小説家、政治家、新聞記者として幅広く活躍し、その後も「代議政体月雪花」や、社会主義的な「近世社会主義評論」「社会小説 東洋社会党」などを刊行した。

没年月日
明治38年6月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久松義典」の解説

久松義典 ひさまつ-よしのり

1855-1905 明治時代の新聞記者,小説家。
安政2年10月生まれ。栃木師範校長をつとめ,立憲改進党に入党。「郵便報知新聞」「朝野新聞」の記者をへて明治24年「北海道毎日新聞」主筆となる。社会主義思想への関心をふかめた。明治38年6月2日死去。51歳。江戸出身。東京英語学校中退。号は狷堂(けんどう)。著作に「東洋社会党」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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