日本で初めて社会党の名を冠した政党。1882年5月,樽井藤吉により長崎県島原に旗を揚げた。綱領に〈道徳を以て言行の規準〉とし,〈平等を主義〉とし,〈社会公衆の最大福利を目的〉としている。東洋の2字には,西洋諸国の社会党=過激党と同一ではなく,〈親和党〉だという意味がこめられており,西欧の理論に学びつつも,東洋の独自性を主張する意識がみられる。さらにこの語には,その主義を日本のみでなく,朝鮮,清にも広めて東洋の衰運を挽回しようとする意図もあった。同志は3000名ともいわれ,そのほとんどが耕作農民であった。しかしその主義ゆえに官憲から共産党あるいは虚無党と断定され,7月解散を命ぜられた。樽井はひそかに修正党則作成等の活動をつづけ,〈天物共有〉〈協同会社〉〈児子共育〉〈理学的生殖〉等を掲げたが,83年1月集会条令違反の罪で禁錮刑に処せられた。
執筆者:広瀬 玲子
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明治時代の一種のユートピア的社会主義政党。1882年(明治15)5月25日、樽井藤吉(たるいとうきち)が赤松泰助(あかまつやすすけ)らと長崎県島原で結成。党則草案の綱領に「親愛を言行の規準」「自他平等を主義」「社会公衆の最大福利を目的」とすることをうたう。佐賀県西松浦郡を拠点とし、旧佐賀藩主鍋島閑叟(なべしまかんそう)の徳政的土地改革制度継続を要求した耕作農民3000余名を獲得したという。党の天物共有思想が渡辺政貴(まさたか)という組織者によりさらに浸透したため、同党は当局により共産党・虚無党とみなされ、同年6月、山田顕義(あきよし)内務卿(きょう)により治安に有害として結社を禁止された。さらに翌年1月、樽井は党則草案を印刷配布したかどで軽禁錮1年に処され下獄、こうして同党は消滅した。
[松尾章一]
『田中惣五郎著『東洋社会党考』(1930・一元社)』
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