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東洋社会党 とうようしゃかいとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東洋社会党
とうようしゃかいとう

日本の政党自由民権運動期,日本で初めて「社会党」と名づけた政党。 1882年5月 25日長崎県の樽井藤吉,赤松泰助らが結成した。「道徳を以て言行の基準とす」「平等を主義となす」「社会公衆の最大福利を以て目的とす」という綱領にみられるように,社会主義政党でも無政府主義政党でもなく,また組織面においても平等主義のために指導,被指導といった上下関係をもたず,党名が示すように党の趣旨を「支那,朝鮮」にも拡充することを目指していたが,1ヵ月後の6月 20日集合禁止を命じられ解散した。耕作農民を主として党員 3000を得ていたといわれ,機関紙『半鐘警報』を発行した。

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百科事典マイペディアの解説

東洋社会党【とうようしゃかいとう】

1882年5月樽井藤吉らが長崎県島原に設立した政党。日本で初めて社会党の名を冠した政党で,機関紙《半鐘警報》。小農民を組織して平等と社会公衆の最大福利を目的としたが,7月結社禁止で解散。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうようしゃかいとう【東洋社会党】

日本で初めて社会党の名を冠した政党。1882年5月,樽井藤吉により長崎県島原に旗を揚げた。綱領に〈道徳を以て言行の規準〉とし,〈平等を主義〉とし,〈社会公衆の最大福利を目的〉としている。東洋の2字には,西洋諸国の社会党=過激党と同一ではなく,〈親和党〉だという意味がこめられており,西欧の理論に学びつつも,東洋の独自性を主張する意識がみられる。さらにこの語には,その主義を日本のみでなく,朝鮮,清にも広めて東洋の衰運を挽回しようとする意図もあった。

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大辞林 第三版の解説

とうようしゃかいとう【東洋社会党】

1882年(明治15)平等主義を掲げて樽井藤吉が長崎県で組織した小政党。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東洋社会党
とうようしゃかいとう

明治時代の一種のユートピア的社会主義政党。1882年(明治15)5月25日、樽井藤吉(たるいとうきち)が赤松泰助(あかまつやすすけ)らと長崎県島原で結成。党則草案の綱領に「親愛を言行の規準」「自他平等を主義」「社会公衆の最大福利を目的」とすることをうたう。佐賀県西松浦郡を拠点とし、旧佐賀藩主鍋島閑叟(なべしまかんそう)の徳政的土地改革制度継続を要求した耕作農民3000余名を獲得したという。党の天物共有思想が渡辺政貴(まさたか)という組織者によりさらに浸透したため、同党は当局により共産党・虚無党とみなされ、同年6月、山田顕義(あきよし)内務卿(きょう)により治安に有害として結社を禁止された。さらに翌年1月、樽井は党則草案を印刷配布したかどで軽禁錮1年に処され下獄、こうして同党は消滅した。[松尾章一]
『田中惣五郎著『東洋社会党考』(1930・一元社)』

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