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1874年(明治7)9月24日『公文通誌』(1872創刊)を改題して発行された東京の日刊紙。当代一流の文人成島柳北(なるしまりゅうほく)が主宰し、初めて論説欄を設けた。この新聞が人気を集めたのは、政界や社会を風刺した柳北の洒脱(しゃだつ)な文章で、とくにその雑録は有名である。75年6月28日、讒謗律(ざんぼうりつ)、新聞紙条例が布告され、記者に対する取締りが厳しくなったとき、蘇軾(そしょく)(東坡(とうば))の「赤壁賦(せきへきのふ)」をもじって掲載(8月17日)した「辟易(へきえき)賦」は世人の喝采(かっさい)を博した。10月、末広鉄腸(てっちょう)が入社、論説を担当、以後硬軟取り混ぜた両者の筆によって人気をよび、政論新聞中随一の発行部数を誇った。しかし78年5月15日、大久保利通(としみち)暗殺の報道と斬奸(ざんかん)状掲載が当局ににらまれ、日刊紙初の発行停止処分を受けた。その後も国会開設、憲法制定、政府の言論取締り批判など民権派新聞として論陣を張った。84年11月成島が死ぬと、犬養毅(いぬかいつよし)、尾崎行雄、町田忠治らが入社、改進党系の新聞になり、89年末広も退社、衰退の一途をたどる。その後、渡辺治(おさむ)、波多野承五郎が社長となり、犬養らも退社、大成会、国民協会の機関紙の色彩を呈したが、内紛絶えず、93年12月廃刊する。同名の新聞がその後も出ている。
[春原昭彦]
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明治前期の政論新聞。1872年(明治5)11月に旧松江・明石両藩主の出資で東京で創刊された「公文(こうぶん)通誌」が,74年9月24日改題し日刊紙となった。局長成島柳北(なるしまりゅうほく)の雑録と編集長末広鉄腸(てっちょう)の論説で人気を博し,発行部数を伸ばした。政府批判は鋭く,76年に柳北は4カ月,鉄腸は8カ月の禁獄刑をうけ,78年には日刊紙で最初の発行停止処分をうけた。自由民権期には立憲改進党派と自由党派の連係の妙で政党機関紙化せず乗り切ったが,柳北の死後は社主乙部鼎の報道軽視路線のため凋落,93年11月20日廃刊。最盛期の発行部数約1万部。
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…その政治論議は早期国会開設を要求する民権派と漸進的な開設を主張する官権派(御用新聞)とによって,かまびすしく展開された。民権派新聞には《郵便報知新聞》《朝野新聞》《東京横浜毎日新聞》《東京曙新聞》があり,官権派新聞には《東京日日新聞》があった。一方,小新聞は花柳だね,警察だねなどで特色を発揮していた。…
※「朝野新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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