日本歴史地名大系 「久留米城跡」の解説
久留米城跡
くるめじようあと
〔近世以前の久留米城と有馬氏入城〕
永正年間(一五〇四―二一)在地土豪が築城、
〔城郭の修築〕
小早川秀包の時代、本丸は東面し、二の丸に大坂城から移された書院(大坂書院)があり、長谷川等伯の絵が描かれていたという。有馬豊氏は元和七年三月久留米に入ったが、当時久留米城は廃城であったため竹屋新左衛門宅を宿所にしたという(「品々集書」有馬泰生家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報