日本歴史地名大系 「久能寺跡」の解説
久能寺跡
くのうじあと
現在の久能山に建立されている久能山東照宮の地にあった寺院の跡。天正三年(一五七五)頃に現清水市
推古天皇の時代に太政大臣尊良の次男久能忠仁が駿河国に下って開き、奈良時代に行基が再興したと伝えるが(続群書類従本・鉄舟寺本「久能寺縁起」)、おそらく平安初期に天台宗寺院として創立されたと考えられる(静岡県史)。当寺には全国的にも珍しい康平五年(一〇六二)正月日の年紀をもつ十二所権現勧請札(鉄舟寺蔵)が残されていた。寺院に神々を勧請することから、寺院内に神々を鎮座させた神社である「寺院惣社」の類いとみる説がある(静岡県史)。前掲縁起によれば、同年に寿勢僧都が当寺で法華八講(法華経八巻を八人の僧が講説する)を始めたとされる。現存する久能寺経一九巻(鉄舟寺蔵など)は広島県厳島神社が所蔵する平家納経と並ぶ装飾経とされ、永治年間(一一四一―四二)の書写と推測されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報