乙瀬村(読み)おとぜむら

日本歴史地名大系 「乙瀬村」の解説

乙瀬村
おとぜむら

[現在地名]藍住町乙瀬

矢上やかみ村の北にあり、ほぼ東流する吉野川(現旧吉野川)に沿って東西に長く延びる。同川対岸ひのき(現鳴門市)との間に乙瀬渡がある。慶長二年(一五九七)の分限帳に乙瀬とみえ、二九四石余が置塩領。同八年徳島藩領となった。正保国絵図では高二九三石余、寛文四年(一六六四)郷村高辻帳ではこの高すべてが畠方。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳では蔵入高は八斗余のみ。文化一〇年(一八一三)の高都帳では高四五八石余。「阿波志」によれば土田は等中下、陸田一〇〇分の九五・水田一〇〇分の五、反別五九町一反余、高四六〇石でその四分の一が采地となっている。家数六六。旧高旧領取調帳では一三六石余が蔵入地、残る三二二石余は蜂須賀駿河ら二人の知行

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む