九谷村(読み)くたにむら

日本歴史地名大系 「九谷村」の解説

九谷村
くたにむら

[現在地名]山中町九谷町

生水しようず村の東、大聖寺だいしようじ川とすぎみず川の合流点南東に位置する。蓮如の四男蓮誓が当所に「九谷坊」を開いているが(日野一流系図)、蓮誓が山田光教やまだこうきよう寺に入ったのは文明一八年(一四八六)頃と推定されるので(同年正月二八日「蓮如書状」六日講四講并所々御書)、九谷坊の開創はそれ以後であろう。永正一六年(一五一九)の実如の新坊建立停止令(反古裏書)で「山田ニ滝野ノ外ハ略定」とあることから、九谷坊はこのとき廃されたとも考えられるが、「蓮如上人塵拾鈔」に「山中に九谷という所に坊あり、近き山々にも面白深山也、高山水精の山あり、享禄の乱の年弐拾ケ年はかりありしと覚ゆ、此も蓮誓の坊なり」とみえるので、享禄四年(一五三一)までは維持された可能性もある。村の入口右手に蓮如屋敷跡といわれるところがあり、文明五年蓮如が山中湯で湯治したとき、九谷にも逗留したと伝えるが(加賀志徴)、ここが九谷坊の遺跡とも考えられる。天文二四年(一五五五)越前朝倉教景の加賀侵攻に対し、加賀一揆勢が遠篝をたいた所の一つに「九谷ノ奥山」があった(朝倉始末記)。慶長一八年(一六一三)加賀藩主前田利常は「江沼郡くたに村」の山林の松木・栗木伐採を禁ずる制札を下している(加賀志徴)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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