新撰 芸能人物事典 明治~平成 「乳井月影」の解説 乳井 月影ニュウイ ゲツエイ 職業尺八奏者 錦風流創始者 本名乳井 建朝 別名幼名=乳井 永助 生年月日文政5年 出生地弘前(青森県 弘前市) 経歴元治1(1864)年近衛家警護のため上洛中に、「松風」を演奏して近衛忠熈から錦の袋を褒美に賜ったことから錦風と称したとの逸話が伝えられる。門下に折登如月らがいる。 没年月日明治28年 (1895年) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「乳井月影」の解説 乳井月影 没年:明治28(1895) 生年:文政5(1822) 江戸後期・明治期の根笹派錦風流尺八の奏者。幼名は永助,本名は建朝。根笹派はもともと普化宗(17世紀ごろ成立)の初期にあった16派のうちの1派で,のちに津軽弘前に伝わり,武士のたしなみとして演奏され,幕末ごろから錦風流と称するようになった。その名の由来は,実質的な家元といわれる月影が,近衛家警護の武士として選ばれて上洛中の元治1(1864)年,「松風」という曲を吹奏したときに,近衛忠煕から贈られた大和錦の袋の「錦」と,その曲名の「風」をとって名づけたという逸話が伝わっている。門人の永野旭影,折登如月,津島孤松により錦風流尺八は全国的に広まることとなった。 (志村哲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「乳井月影」の解説 乳井月影 にゅうい-げつえい 1822-1895 江戸後期-明治時代の尺八奏者。文政5年生まれ。普化宗(ふけしゅう)根笹(ねざさ)派の伴建尹(たけただ)に師事。京都で近衛忠煕(このえ-ただひろ)よりおくられた錦袋と,吹奏した曲「松風」から錦風(きんぷう)流と称したという。門下に折登如月(おりと-にょげつ)らがいる。明治28年死去。74歳。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)(青森県)出身。名は建朝。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by