松風(読み)マツカゼ

デジタル大辞泉 「松風」の意味・読み・例文・類語

まつ‐かぜ【松風】

松に吹く風。松籟しょうらい
茶の湯で、釜の湯の煮え立つ音。
和菓子の一。小麦粉に砂糖を加えて溶き、平たく焼いて、表に砂糖液を塗りケシ粒やゴマを散らしたもの。
[補説]作品名別項。→松風
[類語]追い風順風向かい風逆風横風朝風夕風夜風松風しょうふう山風山颪谷風川風浜風潮風海風陸風熱風温風冷風雨風波風風浪風雪風雨無風微風そよ風軟風強風突風烈風疾風はやて大風颶風暴風爆風ストーム台風ハリケーンサイクロン神風砂嵐つむじ風旋風竜巻トルネード春一番春風しゅんぷう春風はるかぜ花嵐薫風風薫る緑風やませ涼風すずかぜ涼風りょうふう秋風野分き木枯らし空風寒風季節風モンスーン貿易風東風ひがしかぜ東風こち西風偏西風南風みなみかぜ南風はえ凱風北風朔風

まつかぜ【松風】[曲名・書名]

謡曲。三番目物観阿弥作、世阿弥改作。古今集などに取材。昔、在原行平に恋をした須磨の海女あまの姉妹、松風と村雨の霊が現れ、思い出を語って狂おしく舞う。
箏曲そうきょく山田流。初世中能島松声・3世山木大賀が明治初年ごろ作曲。宇和島の伊達家から島原の松平家へ嫁した姫君が、夫に死別後、思い出を箏歌ことうたにしたもの。
源氏物語第18巻の巻名。光源氏31歳。明石の上が上洛、源氏は明石の上を訪問し、紫の上がそれを嫉妬しっとすることなどを描く。
俳人・小説家の石塚友二による短編小説。自身の結婚生活を題材とする。昭和17年(1942)、雑誌「文学界」2月号に発表、芥川賞候補作となる。第9回池谷信三郎賞を受賞。

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精選版 日本国語大辞典 「松風」の意味・読み・例文・類語

まつ‐かぜ【松風】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 松の梢を吹く風。松の梢に当たって音をたてさせるように吹く風。
      1. [初出の実例]「天降(あも)りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風(まつかぜ)に 池浪立ちて」(出典:万葉集(8C後)三・二五七)
    2. 薫物の名。種々の調合例がある。
      1. [初出の実例]「まつ風。〈略〉右の薫物の香、いにしへの侍従などやうにきこえ侍り。にほひすがりまであしからず」(出典:五月雨日記(1479))
    3. 干菓子の一つ。小麦粉を溶かして、厚く平たく焼き、表に砂糖の液をぬり、けし粒をつけたもの。
      1. [初出の実例]「自身番まつ風などの屑を買」(出典:雑俳・柳多留‐五(1770))
    4. 茶の湯で、茶釜の湯のにえたぎる音をいう。
      1. [初出の実例]「京出来の古い鉄瓶で、やはらかい松風の音がしてゐた」(出典:雪国(1935‐47)〈川端康成〉)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 謡曲。三番目物。各流。古い能の「汐汲(しおくみ)」をもとにした観阿彌の原作を世阿彌が改作したという。「熊野(ゆや)」とともに女物の典型的作品。古名「松風村雨」。旅僧が須磨の浦を訪れ、汐汲車を引きながら塩屋にもどってきた二人の海人(あま)の少女に宿を請う。僧がこの暮れ方に在原行平の古跡の松を弔ったことを語ると、二人は涙を流して自分たちは行平に愛された松風・村雨という海女の霊だとあかし、当時の有様を語る。そのうちに松風は恋慕のあまり狂気して、行平の形見の烏帽子狩衣(えぼしかりぎぬ)をつけて舞を舞う。
    2. [ 二 ] 能「松風」に基づく歌謡、舞踊、戯曲などの通称。
      1. 富本。松井由輔作詞。名見崎喜惣治作曲。本名題「徒髪恋曲者(いたずらがみこいはくせもの)」。寛政八年(一七九六)江戸桐座初演。のち、一部は清元に移調された。
      2. 地唄。生田流。元祿(一六八八‐一七〇四)ころの芝居唄作者岸野次郎三作曲。佐渡島伝八作詞。三下り。
    3. [ 三 ] 箏曲。山田流。明治初年に三世山木大賀・初世中能島松声作曲。四国伊達家の息女が夫に死別してもどってきたのを慰めるために作られた琴(銘は松風)にちなんだもの。
    4. [ 四 ] 「源氏物語」第一八帖の巻名。源氏三一歳の秋。明石上が上洛して大井の山荘にはいる。源氏の明石上訪問がやっと実現するが、紫上は嫉妬(しっと)する。しかし、明石姫君を紫上の養女とする計画には紫上は喜んで賛成することなどを中心に描く。

しょう‐ふう【松風】

  1. 〘 名詞 〙 松に吹く風。まつかぜ。松籟(しょうらい)
    1. [初出の実例]「松風催雅曲、鶯哢添談論」(出典:懐風藻(751)春日〈巨勢多益須〉)
    2. [その他の文献]〔南史‐陶弘景伝〕

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改訂新版 世界大百科事典 「松風」の意味・わかりやすい解説

松風 (まつかぜ)

日本の芸能・音楽の曲名。在原行平と松風・村雨の伝説に基づくものと,それとは無関係のものとがあり,また,この曲名ではないが,同一素材に基づくもので,松風村雨物と統括されるものもある。

(1)能 三番目物鬘物かつらもの)。古作の《汐汲(しおくみ)》を原拠にした観阿弥作の能に,世阿弥が改作の手を加えたもの。シテは海人(あま)松風の霊。旅の僧(ワキ)が須磨の浦を訪れる。月の美しい秋の夜で,2人の若い女の海人(シテ・ツレ)が,月影を乗せた汐汲み車を引きながら,浜辺の夜景をめでて塩屋に帰って来る(〈上歌(あげうた)・下歌(さげうた)・ロンギ〉)。塩屋に泊めてもらった僧が,夕暮れに見た在原行平の古跡の松のことを口にすると,女たちは涙を流し,実は自分たちは行平の愛を受けた松風・村雨という姉妹の海人であると告げる。松風は行平の形見の装束を取り出し,それを抱きしめて恋慕の思いにむせぶ(〈クセ〉)。そのうちに松風は物狂おしいていとなり,形見を身に着けて舞を舞い(〈中ノ舞(ちゆうのまい)〉),行平の名を呼んで松の木にすがりついたりなどするが,僧に弔いを頼んで夜明けとともに消えてゆく(〈ノリ地など〉)。名作として定評のある能で,筋の運びも舞台の動きもわかりやすい上に,しっとりとした味わいがあり,節付けも変化に富んでいておもしろい。中入(なかいり)を設けない作り方は,夢幻能の古い形を残しているものといえよう。
執筆者:(2)松風村雨物 人形浄瑠璃歌舞伎狂言,歌舞伎舞踊の一系統。1706年(宝永3)前後に近松門左衛門により人形浄瑠璃《松風村雨束帯鑑(まつかぜむらさめそくたいかがみ)》が作られ,のちの人形浄瑠璃,歌舞伎に大きな影響を与えた。浄瑠璃では,文耕堂,竹田正蔵,三好松洛合作《行平磯馴松(ゆきひらそなれのまつ)》(1738年1月大坂竹本座),また浅田一鳥ら合作《倭仮名在原系図(やまとがなありわらけいず)》(1752年12月大坂豊竹座)があり,その四段目の切《蘭平物狂(らんぺいものぐるい)》は歌舞伎化され,様式的な美しい立廻りの演出をもって名高い。歌舞伎では,1700年(元禄13)京の坂田藤十郎座上演の《松風》や03年4月江戸森田座の《成田山分身不動(なりたさんふんじんふどう)》をはじめ多く脚色されたが,ことに松風の〈汐汲(しおくみ)〉の部分は舞踊劇のなかで発展した。まず《松似候男姿(まつににてそろおとこすがた)》(常磐津。壕越二三治作,1757年1月江戸市村座)以後,《徒髪恋曲者(いたずらがみこいはくせもの)》(富本,通称《松風》。1796年11月江戸桐座。松井由輔作詞,名見崎喜惣治作曲),《浜松風恋歌(はままつかぜこいのよみうた)》(長唄,通称《浜松風》。1808年8月江戸中村座。2世瀬川如皐作詞,9代杵屋六左衛門作曲),《今様須磨の写絵(いまようすまのうつしえ)》(清元,通称《須磨》。1815年5月中村座。2世桜田治助作詞,初世清元斎兵衛作曲),《汐汲》(長唄。1811年3月市村座)などが作られた。
執筆者:(3)地歌・箏曲 地歌に2種,山田流箏曲に1種あるが,後者は,松風村雨伝説とは無関係。(a)地歌《古松風》 佐渡島伝八の作詞,岸野次郎三郎の作曲と伝えられる。本来は芝居歌か。現在では三下り端歌物とされる。(1)のクセ以降をとったものであるが,途中に独自の物狂いの詞章がある。宝暦期(1751-64)の江戸長唄にも取り入れられるが,本来こうした松風村雨物の芝居歌は,この曲以外にも同趣のものがさまざまあって,《落葉集》などに収録されている。箏の手は,菊原琴治が手付けしたものがあったが,その門下の菊県琴松が三味線の手のみ伝えた。(b)地歌《新松風》 (a)の物狂いの部分を,能とほぼ同じものに改め,全体を二上りとした端歌物。名古屋で伝承されていたものに,京都で平調子の替手風の箏の手を付けたもの。現在では,この曲しか行わないので,これを単に《松風》と称する。(c)山田流箏曲 初世中能島松声(三味線),3世山木千賀(箏)の作曲。長瀬勝男都(まさおいち)の協力があったといわれる。奥歌曲。宇和島藩伊達家の姫君が,島原藩松平家に嫁したが,夫がすぐに病没したため,これを慰めるために,箏商重元に〈松風〉という銘の箏を作らせ,それにちなむ詞章を作って,伊達家出入りの山木に作曲を依頼したもの。作詞者は姫君自身ともいう。箏の手法づくしがよみこまれ,合の手は地歌の手事風。追善曲としてよく演奏される。なお,箏には,《集古十種》に載る姫路家蔵の楽箏をはじめ,〈松風〉という名の銘器が多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松風」の意味・わかりやすい解説

松風(能)
まつかぜ

能の曲目。三番目物。五流現行曲。田楽(でんがく)の喜阿弥(きあみ)の『汐汲(しおくみ)』を観阿弥(かんあみ)が翻案し、世阿弥(ぜあみ)がさらに改作した能。春の『熊野(ゆや)』に対する秋の名作として「熊野・松風に米の飯」と親しまれ、飽きることのない名曲として並称される。須磨(すま)の浦に由緒ありげな松を見た旅の僧(ワキ)は、里人(アイ狂言)から、それが流謫(るたく)の貴公子、在原行平(ありわらのゆきひら)に愛された海人乙女(あまおとめ)の姉妹、松風・村雨(むらさめ)の旧跡であることを聞く。僧が弔ううちに日が暮れ、海人の塩屋に宿を借りようと主(あるじ)を待つ。2人の海人乙女(シテとツレ)が秋の月の光の下に現れ、2人は身の上を嘆きながらも名所の汐(しお)を汲(く)む風雅を喜びつつ、汐汲車を引いて塩屋に帰ってくる。僧は宿を借り、磯辺(いそベ)の松の話に涙する2人が、松風・村雨の亡霊であることを知る。行平との愛の日々を語り、形見の装束を身に着けた松風は、恋の狂乱を舞い、回向(えこう)を頼むが、夜明けとともに僧の耳には松風の音ばかりが残って終わる。世阿弥が「事多き能」といっているように、起伏に富んだ大作で、前半の詩の世界、後半の慕情との対比がみごとである。

増田正造

松風物

能『松風』、御伽草子(おとぎぞうし)『松風村雨』に扱われた、在原行平をめぐる松風・村雨姉妹の伝説を脚色した浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)、音曲(おんぎょく)の一系統。人形浄瑠璃では近松門左衛門作『松風村雨束帯鑑(そくたいかがみ)』(1706ころ)をはじめ文耕堂(ぶんこうどう)・三好松洛(みよししょうらく)ら作『行平磯馴松(そなれのまつ)』(1738)、浅田一鳥(いっちょう)ら作『倭仮名(やまとがな)在原系図』(1752)などがあり、歌舞伎でも坂田藤十郎座初演の『松風』(1700)はじめ多くの作が生まれたが、ことに松風の汐汲のくだりは舞踊および歌曲として発達した。有名なものに長唄(ながうた)の『浜松風恋歌(はままつかぜこいのよみうた)』(1808)、『汐汲』(1811)、清元の『今様須磨(いまようすま)の写絵(うつしえ)』(1815)などがある。なお、箏曲(そうきょく)でも生田(いくた)・山田の各流に作曲されている。

[松井俊諭]


松風(菓子)
まつかぜ

京生(なま)菓子の一つで天火菓子の一種。味噌(みそ)松風とも紫野(むらさきの)味噌松風(しょうふう)ともいう。1643年(寛永20)に70歳で没した京都・紫野大徳寺の156世住職江月和尚(こうげつおしょう)の創作した名菓で、きんとんづくりでも高名な松屋常磐(ときわ)をはじめ、亀屋陸奥(かめやむつ)、松屋藤兵衛(とうべい)などの名舗(めいほ)が今日につくり伝えてきた。松屋常磐の仕方帳には、「御糀(おんこうじ)味噌仕立て、うどん粉に上は黒ごま」とあり、京風白みそと小麦粉に砂糖を加えて練り、黒ごまを上に散らし、天火で焼く。亀屋陸奥はケシ粒、松屋藤兵衛は白ごまと大徳寺納豆を散らすが、焼き上がりはいずれも裏面が寂しい。うらさびしを浦寂しとしゃれ、鳴るは松風のみというのが菓名の由来である。

[沢 史生]

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百科事典マイペディア 「松風」の意味・わかりやすい解説

松風【まつかぜ】

(1)能の曲目。鬘(かつら)物五流現行。田楽の能《汐汲》を観阿弥世阿弥が改作したもの。須磨の秋,月下に汐を汲む姉妹の海人乙女の詩情と,在原行平への思慕に舞い狂う哀れさと,2場に分かれながら中入りのない異例の夢幻能。情景兼ね備わる詩劇の傑作として,古来評価が高い。(2)(1)に取材した浄瑠璃・歌舞伎舞踊・三味線音楽などの通称。〈松風物〉〈松風村雨物〉などと総称。富本節《徒髪恋曲者(いたずらがみこいはくせもの)》,清元節《今様須磨》,長唄《汐汲》《浜松風》,河東節《汐汲》,地歌《新松風》,上方舞《松風村雨》(義太夫節・江戸歌掛合)など。(3)山田流箏曲の曲名。初世中能島検校・3世山木検校作曲。松風の銘のある箏にちなんだ歌詞で,故人の追憶を主題とする。能とは無関係。
→関連項目熊野

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松風」の意味・わかりやすい解説

松風
まつかぜ

(1) 能の曲名。三番目物。田楽能『汐汲 (しおくみ) 』に基づく観阿弥の原作を世阿弥が改作したもの。古くは『松風村雨』ともいう。旅僧が,須磨の浦で在原行平の愛人であった松風,村雨という2人の海女の亡霊に会い,特に松風の霊は恋慕のあまり狂おしくなって,形見の衣装を着けて舞う (中の舞) と思うと夢がさめ,ただ松風の音ばかりがしていたという内容。世阿弥自身,会心の作としている曲。歌舞伎,浄瑠璃にも松風,村雨を扱ったものが多い。 (2) 地歌・箏曲の曲名。 (a) 『古松風』『大阪松風』ともいう。岸野次郎三作曲,佐渡島伝八作詞。三下り。今日ではほとんど演奏されない。 (b) 『新松風』『京松風』ともいう。作曲者未詳。 (a) を原曲とする。二上り。 (3) 山田流箏曲。奥歌曲。1世中能島検校と3世山木検校の合作。長瀬勝男一 (かつおいち) の協力を得たともいわれる。作詞は,一説に宇和島藩伊達家から島原藩松平家にとついだ姫君 (北白川能久親王妃富子か) 自身,あるいは夫に死に別れた姫君を慰めるために,里親が箏商重元に「松風」という銘の箏を作らせ,その箏にちなんで詠んだ詞章に曲がつけられたとする説もある。箏の手法や各部の名称などを縁語として詞章に綴りながら,死別した夫を偲ぶ心を歌い,砧地を合せる「砧」の合の手,「楽」の手など,器楽的なおもしろさが聞きどころとなっており,よく演奏される。箏は半雲井調子から四上り平調子。三弦は本調子から三下りを経て,本調子に戻り二上りで終る。

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和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典 「松風」の解説

まつかぜ【松風】

①和菓子の一種。小麦粉・砂糖・水あめ・白みそなどを混ぜ合わせ、上になる面にけしの実やごまなどを散らし、天火などで焼いたもの。カステラのようにスポンジ状に作って切り分けるもの、せんべいのような薄い板状のものなどがある。◇「松風」「浦」「寂し」が縁語などとして慣用的に用いられることから、「浦」と「裏」を掛けたもの。京都で作られはじめ、表は焼き色が濃く、けしの実を振って趣があるが、裏は模様もなく「うら寂しい」ので名づけたという話が、江戸後期の田宮仲宣の随筆「東牖子(とうゆうし)」(1803年、叢書『橘庵漫筆』所収)に収められている。
②「松風焼き」の略。「鳥松風」のように用いる。⇒松風焼き

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普及版 字通 「松風」の読み・字形・画数・意味

【松風】しようふう

松かぜ。唐・寒山〔寒山詩、五十、誰が家ぞ長く死せざらん〕詩 行きて傷心の處に到れば 風、人を愁

字通「松」の項目を見る

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「松風」の解説

松風

正式社名「株式会社松風」。英文社名「SHOFU INC.」。精密機器製造業。大正11年(1922)「松風陶歯製造株式会社」設立。昭和58年(1983)現在の社名に変更。本社は京都市東山区福稲上高松町。歯科用材料・機器製造会社。業界大手。人工歯・研削材・歯科用合成樹脂などを製造。欧・米・中国に販売拠点を展開。東京証券取引所第1部上場。証券コード7979。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「松風」の解説

松風
(通称)
まつかぜ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
徒髪恋曲者 など
初演
寛政8.11(江戸・桐座)

松風
まつかぜ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
元禄13(京・坂田藤十郎座)

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動植物名よみかた辞典 普及版 「松風」の解説

松風 (マツカゼ)

動物。マルスダレガイ科の貝

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世界大百科事典(旧版)内の松風の言及

【在原行平】より

…《古今集》巻十八には〈事にあたりて〉須磨に蟄居した時の作〈わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ〉があり,《源氏物語》の〈須磨〉の巻はこれに拠ったとも言われる。また,この歌にちなむ謡曲《松風》は須磨を舞台として,行平ゆかりの松を配し,生前の彼に愛されたという海女松風・村雨の霊が登場する作品である。《古今集》巻八に〈立別れ因幡の山の峯に生ふる松とし聞かば今帰りこむ〉があり,この歌は百人一首にも採られている。…

【汐汲】より

…作曲2世杵屋正次郎。能の《松風》から取材。海女(あま)の松風が,在原行平のかたみの烏帽子,狩衣を着て恋人を偲ぶ振りをする。…

※「松風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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