朝日日本歴史人物事典 「了眠衍月」の解説
了眠衍月
生年:延宝3(1675)
江戸中期の黄檗宗の尼。のちの道号は了民。清興院,のちに清江院と号す。薩摩(鹿児島)藩士有馬氏に出生,清瀬と称し,幼少より藩主島津家の奥女中に上がるが,正徳2(1712)年10月,島津吉貴の娘満姫が近衛家久に嫁いだのに従い上洛。満姫が延姫を生んで死没したのちも,延姫を養育するために京に留まるが,延姫も早世したので,享保6(1721)年,追福のために白毫山一様庵の隠巌衍真のもとで出家,同16年に鉄面寂練の法を嗣いだ。近衛家の門側に2年間庵居したのち,同20年白毫山中に鉄樹庵を開いた。庵を島津家の位牌所とし,みずからその開山となった。<参考文献>終南浄寿『鉄樹庵記』
(岡佳子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報