コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

忠海 ただのうみ

百科事典マイペディアの解説

忠海【ただのうみ】

竹原[市]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

忠海 ちゅうかい

1697-1755 江戸時代中期の行者。
元禄(げんろく)10年生まれ。叔父の本明海(ほんみょうかい)をしたって出羽(でわ)注連寺(山形県)で出家。宝暦5年湯殿山仙人沢で入定(にゅうじょう)。59歳。即身仏(ミイラ)として山形県酒田市の海向寺にまつられている。出羽鶴岡(山形県)出身。俗姓富樫

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

忠海

没年:宝暦5.2.21(1755.4.2)
生年:元禄12頃(1699)
江戸時代の出羽湯殿山の即身仏(即身成仏した行者のミイラ)。海向寺(山形県酒田市)に祀られる。庄内藩の下級武士富樫条右衛門の次男。本明海の甥に当たり,その徳を慕って注連寺で一世行人となり,海向寺を中興,宝暦5(1755)年に土中入定したと伝える。この年,東北地方は歴史的な宝暦大飢饉に襲われた。苛酷な社会背景のもとに,本明海と共に2人の下級武士出身の即身仏が生まれ,土中入定伝説が湯殿山信仰のなかにとり入れられていった。<参考文献>内藤正敏『ミイラ信仰の研究』,日本ミイラ研究グループ編『日本ミイラの研究』

(内藤正敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

忠海
ただのうみ

広島県中南部、竹原(たけはら)市の東端の地区。旧忠海町。往時は瀬戸内海の要津で、三次(みよし)藩、のちに広島藩の蔵米積み出し港であった。国道185号が通じ、JR呉(くれ)線忠海駅がある。町の北部の黒滝(くろたき)山は内海の展望美に優れる。[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

忠海の関連キーワード広島県竹原市忠海中町第三おおみしま中下 増次郎広島県竹原市竹原[市]若山 為三竹原(市)陸軍造兵廠松島 詩子中下増次郎アヲハタ大久野島乃美宗勝内藤正敏高橋石霞竹原市円明海

今日のキーワード

桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す

《「史記」李将軍伝賛から》桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

忠海の関連情報