朝日日本歴史人物事典 「忠海」の解説
忠海
生年:元禄12頃(1699)
江戸時代の出羽湯殿山の即身仏(即身成仏した行者のミイラ)。海向寺(山形県酒田市)に祀られる。庄内藩の下級武士富樫条右衛門の次男。本明海の甥に当たり,その徳を慕って注連寺で一世行人となり,海向寺を中興,宝暦5(1755)年に土中入定したと伝える。この年,東北地方は歴史的な宝暦大飢饉に襲われた。苛酷な社会背景のもとに,本明海と共に2人の下級武士出身の即身仏が生まれ,土中入定伝説が湯殿山信仰のなかにとり入れられていった。<参考文献>内藤正敏『ミイラ信仰の研究』,日本ミイラ研究グループ編『日本ミイラの研究』
(内藤正敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報