二七村(読み)にななむら

日本歴史地名大系 「二七村」の解説

二七村
にななむら

[現在地名]様似郡様似町字田代たしろ・字新富しんとみ

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治一五年(一八八二)までの村。様似郡の西部、様似川の中流域にあり、北西去魔さるま村、南は農助のすけ村、東は冬島ふゆしま村など(「様似村旧大字図」様似町史、「改訂様似町史」など)。板本「東蝦夷日誌」には「ニナンナイ左川此辺より両岸とも山になる、樹木深き故号く」とみえる。「日高国地誌提要」に弐七重村、明治六年一二月の浦河支庁管下の村調査(「事業報告」第一編)に二七重村(ニナナエとよんだか)とある。


二七村
にななむら

明治一五年(一八八二)から同三九年までの村。明治一五年二月、それまでの二七村が農助のすけ村を合併して成立。アイヌへの農業授産のため、同一九年道庁より中馬秀普・山中矩平が派遣され、当村岡田おかだ村のアイヌに農業を教えた。同二七年山形県人某が角材伐採の目的で移住、翌二八年以降富山・福井両県からの移住者があって、戸数も増加していった。同年様似川の支流アブサリ川の流域では水田試作も行われた(様似町史)。同二九年当村および様似・岡田・平鵜ひらう冬島ふゆしまの五ヵ村有志の共同によって、当村の有償貸付地約四二万坪に二七牧場が開設され、放牧や馬匹改良に用いられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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