二又川村・二又川村新田・本宿新田
ふたまたがわむら・ふたまたがわむらしんでん・ほんじゆくしんでん
[現在地名]旭区二俣川一―二丁目・大池町・柏町・善部町・今川町・本村町・中沢町・本宿町・南希望が丘・さちが丘・四季美台・中尾町・南本宿町・万騎が原・東希望が丘・中希望が丘・左近山・川島町
東は川島村・市野沢村、西は相模国鎌倉郡阿久和村(現瀬谷区など)、南は同郡名瀬村・岡津村(現戸塚区)、今井村(現保土ヶ谷区)、北は今宿村に接する。村内南と西の谷間から流れる川は、村の中央で合流し、二俣川となって東に流れ、北から今宿村との境を流れる帷子川と合流する。谷間に集落・田地が広がり、本宿・膳部谷・榛ヶ谷・二又川の四つの地域に分れる。村内には川島村から西へ抜ける神奈川道、北から川島村境に通ずる鎌倉道が通る。用水は本宿に五〇〇坪の池が一つあり、ほかは天水や谷水の利用である。
建久三年(一一九二)の伊勢大神宮神領注文(神宮雑書)に、保安三年(一一二二)伊勢神宮領となったとある榛谷御厨の中心地という。御厨は「神鳳鈔」では伊勢神宮内宮領で、白布三〇疋を納めている。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)六月二二日条に、北条義時らの率いる鎌倉幕府軍は「武蔵国二俣河」に着き、「
峯之麓」に陣取る畠山重忠を襲い、重忠と一族郎党は戦死し、翌二三日条には、畠山氏の同族榛谷重朝・重季・秀重らも殺害されたとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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