二条院跡(読み)にじよういんあと

日本歴史地名大系 「二条院跡」の解説

二条院跡
にじよういんあと

関白基経の女で、醍醐天皇皇后となった藤原穏子の邸跡。「拾芥抄」は「二条北、堀川東、天暦母后御領」と記す。これは現在の薬屋くすりや町の西側と、九丁目きゆうちようめのほぼ全域、矢幡やはた町・西夷川にしえびすがわ町の一部にあたる。藤原穏子は延長元年(九二三)醍醐天皇の皇后となり、後の朱雀・村上天皇を産む。皇太后を経て村上天皇即位とともに太皇太后となり、忠平・時平らとともに藤原北家への権力集中に努め、藤原摂関家の確立に大いに力があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む