五分市村(読み)ごぶいちむら

日本歴史地名大系 「五分市村」の解説

五分市村
ごぶいちむら

[現在地名]武生市五分市町

味真野あじまの扇状地の中心にある。村名は中世荘園時代の下司の得分「五分一」に由来すると思われる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図今南東いまなんとう郡に「五分一村」として高三六八・七六八石が記される。寛政元年(一七八九)の御廻国様御通ニ付高斗代寺社並ニ家数人数御改帳(「越前宗門帳」所収)では家数七四・人数二五七。

正保郷帳によれば、田方八二石に対して畑方二八七石余と、扇状地の特色で畑方が極端に多い。この村高は元禄郷帳まで不変だが、前記寛政元年の御改帳以降、一挙に一二八石余増加する。このような扇状地の急激な開発は掘田新田の結果と考えられるが、この新田は用水に多大な影響を及ぼしたため、川下の村々と絶えず争論を起こした。


五分市村
ごぶいちむら

[現在地名]遊佐町江地えち

下江地しもえち村の北にあり、北は向宮田むかいみやだ村。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録には五分一村・五歩一村などとみえ高七四石余。寛永元年庄内高辻帳には五分一村とあり高一二一石余。享和三年(一八〇三)には家数六・人数三二(「村数家数人高控帳」斎藤文書)庄内要覧によれば免四ツ一分七厘、家数七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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