日本歴史地名大系 「五別所村」の解説 五別所村ごべつしよむら 滋賀県:大津市中部地域五別所村[現在地名]大津市三井寺町(みいでらちよう)・小関町(こぜきちよう)・大門通(だいもんどおり)・御陵町(ごりようちよう)・尾花川(おばながわ)・茶(ちや)が崎(さき)・神出開町(かみでひらきまち)・逢坂(おうさか)一―二丁目・梅林(うめばやし)一―二丁目・京町(きようまち)三―四丁目・末広町(すえひろちよう)・春日町(かすがちよう)・音羽台(おとわだい)・東浦垣内町(ひがしうらかきうちちよう)園城(おんじよう)寺の南から北東にわたる一帯が村域とみられ、その中央部は園城寺門前にあたり、南部は京都と大津町を結ぶ小関越、北部は北国海道が通る。文献上、別所ともみえ、地名は園城寺の五別所に由来するが、その歴史的実態は必ずしも明らかでない。江戸時代後期の天保郷帳では五別所村七九五石余と高付されるが、これは五別所村・神出村・唱文師(しようもじ)村からなっている。この三村の相互関係もつまびらかでない。古来より園城寺の統治下にあったことは確実だが、文禄四年(一五九五)豊臣秀吉により園城寺は闕所地となり、翌五年検地を行い、「五別所」など二千石が延暦寺領として寄付されている。五別所分は七二八石余で、本高五八四石余に対し検地による出来高は一四三石余(叡山天正再興記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by