20世紀日本人名事典 「五十嵐秀助」の解説
五十嵐 秀助
イガラシ ヒデスケ
明治・大正期の電信電話技術者
- 生年
- 安政5年12月22日(1859年)
- 没年
- 昭和8(1933)年2月11日
- 出身地
- 出羽国米沢(山形県)
- 旧姓(旧名)
- 徳間
- 学歴〔年〕
- 工部大学校電気工学科〔明治15年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔明治32年〕
- 経歴
- 出羽米沢藩士・徳間久三郎の三男に生まれ、同藩士・五十嵐正和の養子となる。明治15年工部省に入り、23年電信電話事業研究のために私費で米国に赴き、24年帰国、逓信省技師となる。33年電信電話事業の視察のため欧米に派遣される。東京電話交換局長、東京逓信局工務部長を歴任し、東京・横浜などで電話網建設の基礎を造った。のち農商務省技師、宮内省御用掛を務めた。大正6年退官後は中国に招かれ漢口・武昌の電話改善事業に当たり、9年完成させた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報