中国,湖北省東部の大都市。武昌,漢陽とともに武漢市を形成し,いわゆる武漢三鎮の一つである。漢水が長江(揚子江)に流入する北岸に位置する。漢口の名は4,5世紀ころから現れるが,当時は今の漢陽をさしていたらしい。この地は漢水と長江の交わる地点に存在するので,古くから交通の要衝と目されたが,もともと沼沢地であったので農耕に適さず,都市としての発達はずっとおくれた。しかし16世紀になって漢口鎮としての都市的基礎が固まると急速に発展し,明末・清初には中国四大鎮(朱仙鎮,景徳鎮,仏山鎮)の一つに数えられるに至った。清代にはさらに発展をとげ,長江中流の重要都市となったが,1858年(咸豊8),天津条約により開港してからは上海につぐ第二の貿易港となり,茶,綿,麻などが輸出された。さらに湖広総督張之洞が工業都市化に努力したので近代都市としての発展はめざましく,民国以後は夏口県に昇格し,ついで特別市となった。開港にともない帝国主義列強の租界がつくられ,租界をめぐる紛争も多かったが,解放後は武漢鉄鋼コンビナートの一郭として重要性はさらに大きくなっている。
執筆者:谷口 規矩雄
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中国、湖北(こほく/フーペイ)省東部、武漢(ぶかん/ウーハン)市の北部地区。もと武昌(ぶしょう/ウーチャン)、漢陽(かんよう/ハンヤン)とともに武漢三鎮とよばれた。漢口は長江(ちょうこう/チャンチヤン)(揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン))に支流漢水(かんすい/ハンショイ)が流れ込む合流点にあたり、水陸ともに交通が便利で、「九省之会」(9省からのルートの集まる所)とよばれた。武昌、漢陽に比べると都市化が遅れたが、明(みん)、清(しん)代には仏山鎮(ぶつざんちん/フォーシャンチェン)、朱仙鎮(しゅせんちん/チューシエンチェン)、景徳鎮(けいとくちん/チントーチェン)と並んで四大鎮の一つとされ、商業が盛んであった。旧名は夏口、漢皋(かんこう)ともよばれ、江夏県に属していた。アヘン戦争以後列強の長江流域に対する経済支配の拠点とされ、一時租界もつくられた。1949年武昌、漢陽と合併して武漢市となった。京広鉄道が通じ、また増水期には長江は漢口まで1万トン級の汽船も溯航(そこう)できるので、現在も水陸交通の要衝となっている。武漢第二長江大橋が長江を横断して架けられている。
[河野通博]
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「ハンコウ(漢口)」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…人口449万(1994),面積2746km2。長江(揚子江)と漢江の合流点に位置し,武昌,漢陽,漢口の3都市を合併して成った。古くはこの三つを併せて武漢三鎮と称され,交通の要衝でもあったので群雄必争の地となった。…
※「漢口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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