日本歴史地名大系 「五品嶽城跡」の解説 五品嶽城跡ごほんがだけじようあと 広島県:比婆郡東城町川西村五品嶽城跡[現在地名]東城町川西標高四八〇メートルの五品嶽に築かれた要害堅固な山城跡。「備後古城記」などには「五本竹城」と記されるが、「国郡志下調書出帳」などは五品嶽城と記す。戦国時代末期、この地方に勢力を振るったのは久代の比田山(くしろのひたやま)城を本拠とした宮氏(久代氏)であった。「久代記」(伊藤家蔵)によれば六代景友の時代に川西に五本竹城を築き、享禄年間(一五二八―三二)に毛利氏配下に属したといわれ、七代高盛のとき天文二年(一五三三)入江(いりえ)(現西城町)に大富山(おおとみやま)城を築いて本拠を移した後は、家臣渡辺七郎左衛門尉に当城を守らせた。以後、大富山城を西(さい)城、五本竹城を東(とう)城とよんだという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by