井上本庄(読み)いのうえほんしよう

日本歴史地名大系 「井上本庄」の解説

井上本庄
いのうえほんしよう

紀ノ川北岸の河岸段丘上にあった荘園で、長田ながた庄ともいう。東は粉河庄、西は井上新庄。古くは摂関家領荘園であったが、山城随心院に寄進され、室町時代に粉河寺領となった。仁平三年(一一五三)一月二九日付の高陽院百種供養料送状(京都大学蔵「兵範記」紙背文書)

<資料は省略されています>

とあり、当庄のことではないかと思われるが、ほかに関係史料を得ない。摂関家領池田いけだ(現打田町)東方にあることから、古くから摂関家領であった可能性も高い。次いで建長二年(一二五〇)一一月日付の九条道家初度惣処分状(九条家文書)には、前摂政一条実経に譲られた所領中に「井上本庄」がみえる。別に「井上新庄」が九条忠家に譲られており、この頃までに新庄が分立していたことが知られる。同処分状には本庄は「被月輪(九条兼実)殿高野護摩用途」と記される。明徳三年(一三九二)一〇月日付高野山金剛峯寺寺領注文写(「阿波国徴古雑抄」所収興山寺文書)に「長田庄下司職丹生社領」は当知行と記されるが、応永七年(一四〇〇)正月一八日の同寺領注文(勧学院文書)には「井上本庄西塔領並下司職丹生社領」はともに不知行となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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