朝日日本歴史人物事典 「井上良馨」の解説
井上良馨
生年:弘化2.11.2(1845.11.30)
明治期の海軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士井上七郎の長男。薩英戦争(1863)の際沖ノ島砲台で応戦,慶応3(1867)年藩の軍艦「春日」に乗艦し,阿波沖,奥州,箱館と転戦。兵部省に出仕し「竜驤」副長などを経て,明治7(1874)年「雲揚」艦長。翌年,日本は朝鮮との国交を求めて軍艦による朝鮮海域での示威を行い,9月20日「雲揚」は江華島沖に至る。井上は自らボートに乗り,「淡水補給」の目的で漢江を遡行,朝鮮側の砲台から攻撃を受けると帰艦して翌日砲撃,上陸し多大の損害を与えた(江華島事件)。11年1月から翌年4月にかけて,横須賀造船所による国産第1号艦「清輝」(三檣木造艦)の艦長として,日本の軍艦による最初のヨーロッパ訪問を行い,海国日本を世界に示す快挙と讃えられた。のち「扶桑」艦長,軍事部次長,海軍大学校長などを歴任,22年常備艦隊司令長官となる。日清・日露両戦争中はいずれも横須賀鎮守府司令長官を務め海戦には参加していないが,日清戦争後の台湾鎮圧には西海艦隊司令長官として実戦に赴いた。34年大将に進み,40年には子爵,44年には元帥。
(田浦雅徳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報