井口貞夫(読み)イグチ サダオ

20世紀日本人名事典 「井口貞夫」の解説

井口 貞夫
イグチ サダオ

昭和期の農協役員 徳島文化を進める会会長



生年
明治38(1905)年12月2日

没年
平成11(1999)年5月23日

出身地
香川県

学歴〔年〕
九州帝国大学農学部卒

主な受賞名〔年〕
徳島県文化賞(第19回)〔平成5年〕

経歴
九州大学助手を経て、農林省に入る。戦後徳島県脇町に戻り、昭和33年新制脇町の初代町長に選ばれる。町長時代に町民総参加の脇町文化祭を創設、退任後も“うだつの町並み”が国選定重要伝統的建造物群保存地区指定を受けるのに尽力した。58年から県内の政・財・学術・芸術各界の代表者で構成された総合的文化団体、徳島の文化を進める会の会長として文化活動の活性化に努めた。著書に随筆集「山脈(やまなみ)」がある。


井口 貞夫
イグチ サダオ

大正・昭和期の外交官 元・駐米大使;元・外務次官。



生年
明治32(1899)年10月18日

没年
昭和55(1980)年5月27日

出生地
和歌山県

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)〔大正11年〕中退

経歴
大正11年外務省に入省。英国、中国勤務の後、駐米大使館参事官となり、野村吉三郎大使の日米交渉を補佐。次いで調査部、情報部各課長、情報局第3部長。戦後終戦連絡中央事務局総務部長のあと公職追放。解除後大洋ホエールズ球団社長。昭和26年外務次官に戻り、第3次吉田内閣の下でサンフランシスコ平和条約締結の事務折衝に当たり、次いで駐カナダ大使、29〜31年駐米大使、34〜37年駐中華民国(台湾)大使。ほかに日英協会副会長、アジア親善交流協会理事長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井口貞夫」の解説

井口貞夫(1) いぐち-さだお

1899-1980 大正-昭和時代の外交官。
明治32年10月18日生まれ。芳沢(よしざわ)謙吉の娘婿。大正11年外務省にはいる。昭和16年アメリカ大使館参事官となり,野村吉三郎らの対米交渉を補佐した。26年事務次官,27年駐カナダ大使,29年駐米大使,34年駐中華民国(台湾)大使。昭和55年5月27日死去。80歳。和歌山県出身。東京商大(現一橋大)中退。

井口貞夫(2) いぐち-さだお

1905-1999 昭和時代後期の農協役員。
明治38年12月2日生まれ。昭和23年徳島県江原町農協組合長となり,以後同県の購買農協連,農協中央会の会長などを歴任。その間,江原町長,脇町長をつとめた。徳島の文化を進める会会長。平成11年5月23日死去。93歳。香川県出身。九州帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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