井見庄(読み)いみのしよう

日本歴史地名大系 「井見庄」の解説

井見庄
いみのしよう

近世のゆみ庄の地域にほぼ相当する。白岩しらいわ川とその支流栃津とちづ川の間の地域で、現在の上市町西部にあたる。従来この地域は国衙領であったが、その領家職の給主は観応の擾乱段階で反幕府行動に走った越中守護桃井直常の与党となったために、擾乱鎮定後に越中支配を本格化した足利将軍家方によって没収され、北向(将軍足利義詮妻、紀良子か)料所となったと考えられる。貞治五年(一三六六)九月二九日に北向は井見庄を禅僧春屋妙葩寄進し、同日付で義詮がそれを承認している(「北向寄進状」鹿王院文書、以下同文書は省略)。足利義満は康暦元年(一三七九)宝幢ほうどう(現京都市右京区)を創建して妙葩を開山とし、妙葩は井見庄領家職を同寺開山堂鹿王ろくおう院に寄付した(永徳二年一二月一五日普明管領寺院注文)。次いで至徳元年(一三八四)一一月三日には鹿王院領全体に恒例臨時公役銭等が免除された(太政官牒・官宣旨)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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