井門庄(読み)いとのしよう

日本歴史地名大系 「井門庄」の解説

井門庄
いとのしよう

現神戸市須磨区から長田区にかけて存在したとみられる庄園。井戸庄とも書く。建仁二年(一二〇二)二月一四日の輪田庄庄官源能信等申状に、輪田わだ(現兵庫区)に隣接する八部やたべ郡内七ヵ庄の一として井門庄がみえる。平安末期、八部郡は平家の支配下にあったが、応保二年(一一六二)平清盛の使として藤原能盛が同郡を検注したとき九条家領輪田庄は井門庄など周辺四ヵ庄に押領されていることが判明、その後押領は拡大して七ヵ庄に及んだという。平家没落後、これら七ヵ庄はそれぞれの本所に返付されたが、当庄は九条道家の子三寅(のちの頼経)将軍として鎌倉に迎えられたのを契機に、仁治元年(一二四〇)鎌倉幕府から九条道家に献ぜられ(同年一一月日関東御教書案)、建長二年(一二五〇)道家から嫡孫忠家に譲られた(同年一一月日九条道家処分状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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