日本歴史地名大系 「京徳遺跡」の解説 京徳遺跡きようとくいせき 大分県:宇佐市旧四日市町地区敷田村京徳遺跡[現在地名]宇佐市下敷田 京徳下敷田(しもしきだ)の南部、五十石(ごじつこく)川を望む微高地上にある。弥生時代後期から古墳時代に及ぶ墳墓遺跡で、県指定史跡。昭和四八年(一九七三)地区の圃場整備工事中に石蓋土壙が発見されたのを契機に発掘調査が行われた。この結果東西約二〇メートル・南北約三〇メートルの範囲に石蓋土壙三六基・土壙墓一一基が発見された。別に調査以前の工事によって一〇基ほどが壊されたとみられる。これら約六〇基の墳墓の大半が石蓋土壙であり、箱式石棺・甕棺がまったくみられないところに特色がある。遺跡は広大な微高地の先端部にあるが、溝によって背後の微高地と区切られており、また遺跡中心部南寄りに約二〇個の柱穴がみられ、この部分には墓が少なく、埋葬儀式にからむ建物跡かとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by